ussamのつぶやきダイアリー

日々のつぶやき、美容、ダイエット、本の感想などゆるく書いていきます。

本日は、お日柄もよく

 

『本日は、お日柄もよく』原田マハ(徳間文庫)

の読後感である。

 

 

YouTuber(ポッドキャスト)がおすすめしてい、ミーハーである私はすぐさま図書館に探しに行った。

運よくみつかり、借りた。

 

 

スピーチについての話だと言っていたのを聞いて、

堅苦しいのではないか?

スピーチが題材っておもしろいのか?

とあまり期待していなかったが、読み始めてすぐに引き込まれた。

 

 

小説の冒頭にスピーチの極意が箇条書きで示されている。

 

詳しくは本を読んでほしいので引用して書くことはしないが、これまでのスピーチに対する認識が変わった。

というか、

これまで、もっぱら聞く専門で自分自身スピーチについて勉強することはなかったため、認識が変わるも何もないのだが、、、

それに加え、失礼なことに、スピーチを熱心に聞くということもあまりしていなかった。

 

なぜなら、スピーチは

話し手の自己満、

形式的な内容、

だらだらと間延びした内容

というイメージが強かったからだ。

 

それが、この本を読んで、これからスピーチを聞くときにも、自分がする側になった時にも考えることが多くなりそうだと思った。

 

 

まずはじまりの部分だが、

「ただいま紹介にあずかりました○○です。」

などと始めるのはナンセンスであるというものである。

 

確かに聞いている側からしたら、「わかってるわい!」とさっそく突っ込みたくなるし、時間と文字数の無駄である。

 

静かで落ち着いた、しかし、聞き手の心をぐっとつかむ一言で始めるべしということである。

 

式辞などでありがちな、時候の挨拶というのもいらない、もしくは必ずしも冒頭に形式的に入れる必要はないのかもと思わされた。

 

 

全体がふっと静まってから話始めるというのも、当たり前に思えてなかなかできない。

「自分のスピーチなんかだれも真剣に聞いていないだろう」、

「緊張するしさっさと終わらせよう」

と私なら考えてしまう。

 

「静かになる前に始めちゃおう」と極意とは真逆の思考である。

 

しかし、聞かせたいときには、静寂を待って始めるのは必須である。

 

 

全文を暗記するというのも当たり前なようでいてできていない。

 

べったりと読むというほどでなくても、カンペ的なメモは持っている場合が多い。

 

読むとどうしても棒読みになってしまい感情が入りにくい。

抑揚をつけて演じるように読むのはむしろ嘘っぽくなってしまうと思うが、

暗記して言葉を完全に自分のものにして聞かせるというのは

思っている以上に印象が違うのだと思う。

 

 

内容はエピソードや具体例を盛り込むこと。

 

これに関しては私も日常で感じることがある。

 

人の書いた文章を読んだり、添削したりということが時々あるが、全体の流れとしては「できる人」の文章だな悪くないなという印象を抱きつつも、まったく内容が胸に響かない文章にまあまあ出会う。

 

それらの文章の共通点は“具体性のなさ”である。

耳にいい、かっこつけた抽象的な言葉のオンパレードなのである。

これなら、思っていないことでも書けるし、誰でも書けるし、読み終わったところで「だから何?」という感想を持たれて終わりである。

 

具体的すぎるくらいの具体例を盛り込むことはかなり重要ポイントであると私も思う。

何を言っているのかがわかりやすいし、聞き手の心に届きやすいのだろう。

 

 

 

感動的に締めくくるというのも極意のうちであるが、

最後まで決して泣かないことというのもみそだと思った。

 

スピーカーの涙につられて泣いてしまうという場面もよく目にする光景である。

結婚式などではよく起こりがちだろう。

それはそれで「感動的だったね」、という感想になるのかもしれない。

 

しかし、話し手が泣いてしまった瞬間そのスピーチは聞かせる者・送る者という立場からたちまち転落し、“自己満”の言葉になってしまうような気がした。


聞いている私が涙するはずの場面で、読み手が先んじて泣き始めるとスピーチの世界から一気に現実に引き戻され感情が簡単に冷めてしまう。


なるほど、泣いてはいけないと明文化して示されると納得せざるをえない。

 

 


と、極意に反して具体性のない話をつらつらと書いてきてしまった。

 

 

この本を読んで、

スピーチとはこんなにも深いものだったのだと思うのと同時に、

言葉が持つ力は無限大だなと考えさせられた。

 

同じ内容でも、言葉の選び方や話す順序、話すときの表情や振る舞いによって

伝わり方がこんなにも違うのかとハッとさせられた。

 

人前で話すことは大の苦手であるが、スピーチ原稿を考えるのが楽しそうで、自分も書いて喋ってみたくなった。

 

 

と言いつつも、この先もスピーチをしなければならない機会が訪れないことを願うが、もしもの時にはこの話を思い出したい。

 


ただし、この極意に当てはめて人のスピーチを上から目線で評価することがないように気を付けようと思う。

優しくない世界

 

北陸応援割で旅行に出かけた。

 

大学時代の友達との女子二人旅。

 

とても充実したいい旅だったのだが、その内容はまたいつか書くとして(多分書かない)、

 

旅行中に何度か感じたことがあった。

 

 

それは、

“お年寄りに優しくない世界になっていっている!”

ということだ。

 

 

まず、ホテルだ。

 

私たちが泊まったのはかなり最近できた、4つ星ホテル。

 

どこでも最近はそうだが、エレベーターに乗って自分が泊まる客室のある階まで行くときには、

エレベーターのボタンを押すのにルームキーをかざしてからでないと階のボタンを押せない。

 

かなり多くのホテルでその仕様になってきたので、私たちはまったく戸惑うことはなかったが、

同時に乗ってきたおじいちゃんおばあちゃんグループが、

「え、押せないよ!」「これどうするだか!あれ?あれ?」

となっていたので、友達がレクチャーしてあげた。

 

「ルームキーをここにあててからじゃないと押せないんですよ。」

とお教えする。

「ルームキー?持ってるのあんたじゃん」

などとわちゃわちゃし始める。

 

やっとのことでルームキーを取り出すもタッチする場所がいけないのかうまくできない。

 

友達が手取り足取り、

「こーしてー、こーです」

とやってあげるとようやく階ボタンが押せた。

 

「ごめんね~ありがとね~」

と感謝され、人助けをしたと私たちはいい気分になった。

 

と、同時に、

確かに初めてこのシステムに遭遇したらわからないよな~と思った。

 

さらにおじいちゃんたちにとって難関だった要因としては、

“もうわかってるよね”という世間の誤った(高をくくった)認識だと思う。

 

ホテルのフロントでも説明はあったが、限りなくさらっっっっとだったし、

エレベーターの中には「ルームキーをタッチ!」みたいな説明書きもなかった。

 

これはわからなくてもしょうがない。

 

 

その方たちを助けた日の夜。私

たちは予約しておいた居酒屋に行った。

 

少々お高めではあったがとてもおいしくいただいた。

 

そのことはどうでもよくて(←)、

 

私たちが舌鼓を打っているとお店におじいちゃんおばあちゃんの6人くらいのグループが入ってきた。

 

「6人ですけどいいですか?」と店員に聞く。

その日は日曜日で定休日の飲食店が多く、私たちでもお店のチョイスに困ったほどだったので、もちろんそのお店の予約でいっぱい。

 

断られたのにすぐには飲み込めていないようで、

「ホテルの人に聞いたら予約はできないって言われたんだけどね~」

と、どこか要領を得ないコメントを残して去っていった。

 

 

やっぱ予約でいっぱいだよね~と思うくらいで流していたが、

お店を出てホテルに向かって歩いているときに、

「あの人たちエレベーターの人たちじゃない?」となり、

「どっかいいお店は入れたかな~」と急に心配になった。

 

 

ホテルに着くと、楽しそうな雰囲気のその方たちがいらっしゃった。

入れるお店あったんだ~と謎の安心感を覚えた。

 

週末など混雑が予想されるときには予約必須であるというのは常識になり始めている。

 

しかし、人気店を調べて予約するにはインターネットを使いこなせる必要がある。

 

グーグルマップなどで調べ、ネット予約ができればポチポチッとし、できなければそこに表示されている電話番号に電話をする。

 

これはきっとガイドブック頼り(しかも最新じゃないかもしれない)だと、予約するのも至難の業だ。

 

 

 

ホテルは大浴場付きだったので、ゆったりとお風呂も満喫。

 

暖簾をでたところには湯上り(とジム)用のスポーツドリンクが置いてあった。

 

ウォーターサーバー式だったのでコップでレバーを押すと出てくるという方式なのだが、

そこでまたあのグループのうちの一人のおじいちゃんが戸惑っていた。

 

コップを下のところにおいてボタンでもなんでもないところを押してみたりなんだりしていたので、みかねて私が汲んで差し上げた。

 

しかし、あの給水機もよくないというかわかりづらい。

 

背景(本体?)が黒であるうえにレバーも黒で、照明も暗めである。

もうどこに何があるのか見えづらいったらありゃしない。

 

私でも一回「ん?」となったのだから、お年寄りにはハードルが高い。

 

 

 

そんなこんなで、なんてお年寄りに優しくない世界なんだ!と友達と話した。

 

 

 

さらに次の日、私たちにとっては旅行最終日。

 

だめ押しのようなできごとがあった。

 

 

この類の不親切さは割と最近多発しているかもしれないのだが、

 

その犯人は"応援クーポン"だ。

 

 

北陸応援割で旅行代金そのものが安くなることに加え、その地域の加盟店で使えるクーポンがもらえた。

1000円分だがお土産代の足しになるのでありがたかった。

 

しかし、そのクーポンがくせ者で、電子クーポンなのだ。

 

まず、アプリをダウンロードする。

アプリに必要な情報を登録し、ホテルでもらった紙にあるQRコードを読みこむとアプリ内で1000ポイントが付与され、1ポイント1円で使えるというものだ。

 

 

スマホに慣れており、同じような操作をしたことがあればそんなに苦ではないが、それでもめんどくさいなと感じた。

 

 

私たちが昼食を食べに入ったお店で、会計をしようとしているおばちゃん(おばあちゃん)2人組がいた。

このクーポンを使いたいのだとQRコードが載った紙を店員に見せていた。

 

「これはアプリをとってこれを読み込んでもらわないと使えないんですけど……」

と店員が説明する。

 

詳しいやり方を話してはいたが、自分たちには到底できないと思ったのかおばちゃん二人は「じゃあいいです~」と諦めて普通に現金で支払いを済ませて帰っていった。

 

たかが1000円、されど1000円。

 

どうせ説明とQRコードが載った厚手のカラー印刷の紙を配るのだから、元から紙クーポンにしてしまえばいいのにと思った私は間違っているだろうか。

 

資源の無駄や郵送費の問題があるのかなと思ってはみるが、他に結局紙を配っているのだから同じではないか。

 

 

 

 

情報弱者”という単語ができて久しいが、最近はそれを実感することが多いように感じる。

 

ペーパーレスにしたり、セキュリティー保護のために手順が多くなったりすることは仕方がないのかもしれない。

 

しかし、急速に進むIT社会、情報社会に取り残されて不利益を被る人がいるかもしれないというのは忘れてはいけないと思うのだ。

 

 

 

めずらしく真面目なことを書いてしまった。

 

 

 

というのも、自分もいつか時代に取り残される側になるのではないかという不安があるからだ。

 


今は年齢的にもいろいろな変化に適応しやすいし、

スマホなどの情報機器を日常的にヘビーユーズしているからなんとかついてはいけているが、

時々新しいシステムに出会うと混乱したり理解に時間がかかったりすることがある。

 

未来では今では予想できないような大きな変化があるだろう。

 

その時に時代に取り残されないようにできるだけ自分を日々アップデートさせていかなければならないなと思う。

 

それと同時にというかもっと大事かもしれないと思うが、わからないことがあったときにすぐに頼れる人を作っておかなければと思う(自分だけの力では限界があることは認めている)。

 

 

 

いやはや、

 

日進月歩ですね。

ジェットコースターへの覚悟

 

 

ジェットコースターなど絶叫系が苦手だという人は多い。

 

理由は様々だと思うが、

 

三半規管が弱くて酔ってしまうとか、

高所恐怖症だとか、

あの胃がふわっとする感じが苦手、

 

という人が多いのではないだろうか。

 

 

私の夫は上記3つには当てはまらない。

 

乗ろうと思えば乗れるがすすんで乗りたくはないという部類だというが、

 

その理由が、

 

安全性が信用できないから

 

だそうだ。

 

 

インフラ系の仕事をしている夫からすれば、

かなりチェックやルールが厳しく精鋭が集まってくる自社でさえ事故が起こることがあるのに、

遊園地やテーマパークの整備が自社より水準が高いと思えない。

だから、危険極まりない。

 

ということらしい。

 

万が一のことがあって途中で止まったり、さらには命を落としたりということもあるだろうから、乗りたくない、

と言うのだ。

 

 

 

甘い。

 

考えが甘いんだよ。

 

 

 

私は絶叫系が大大大好きである。

 

高いところも、あのスリルも、疾走感も、胃のふわっと感も、

 

全部好き。

 

 

いつか何かの文章で、

「ジェットコースターは“死の疑似体験”である」

というような話を読んだ。

 

通過儀礼”とも書いてあった。

 

 

どこかの国の小さな村で男子の成人への通過儀礼として、バンジージャンプをする。

 

そのバンジージャンプはもちろん安全帯などなく、木の弦をつなぎ合わせたようなロープで足首をしばる。

そして飛ぶ。

何人も同じ弦でやるのでどんどん伸びていってしまう。

やがて弦が地面につくくらいの長さになっていって、飛んだはいいものの地面に頭を打ちつけて亡くなる子が出るらしい。

 


ジェットコースターはそのバンジージャンプと同じようなものだとその筆者は語っていた。

 

(※という記憶があるが、自分の記憶は全く信用できないので、間違っていたらすみません。)

 

 

つまり、ジェットコースターも生きるか死ぬかの賭けであり(←)、

死ぬかもしれないという覚悟を持って乗るべきなのである(←)。

 

その覚悟があれば、まったく怖くない。

 

 

私はその覚悟がある。(ドヤー)

 

 

ジェットコースターに乗った時には、

落ちていくときに絶対両手を上げて(離して)、楽しそうにすることにしている。

 

 

ジェットコースターに乗るのだから、

万が一死んでも仕方がない、死んでもいい、

という気持ちで乗っている。

 

生への執着がなさすぎだと言われるかもしれないが、実際そうだ。

 

 

「生きてることがつらいなら」という森山直太朗の歌が好きで、

“恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り”

と言っている。

 

もし万が一のことがあってジェットコースター事故で死んでしまったとして、

私の周りの人は数日間悲しんでくれるであろうが、

きっとすぐ元通りになる。

 

 

私は人生にまったく未練がないかと言えば、そうではない。

 

まだ旅行したい場所もあるし、食べたいものもある。

 

でも、死んだら死んだでその運命を甘んじて受け入れる。

 

 

多分子供がいないからこんなことを言えるのかもしれない。

結婚したので夫はいるが、夫は私がいなくても生きていけるし、むしろ第二の人生として楽しんで生きるだろうと思う。

 

しかし、子供は自分の庇護を受けないと生きていけない存在であるし、自分としても守りたいという本能が動くのだろう。

 

 

今の状況だから、

人生舐めた感じで、

 

「ジェットコースターに乗るからには死ぬ覚悟がある。」


とドヤ顔で言えるだけなのだろうが、

 

私にとってジェットコースターに乗るとはそういうことだ。

 

 


とは言うものの、

本当に絶叫系の(ディズニーとかの生ぬるいやつじゃない)ジェットコースターに最後に乗ったのはいつだったか……

 

 

 

富士急行きたいな~~~~

失敗した昼寝の寝覚めのような朝

 

最悪な目覚めだ。

 

 

今がいつなのか、何曜日なのか、何時なのか、
まったくわからなかった。

 

 

30秒くらい考える。

 

「えっ…えっ……と、うん?」

と独り言ともつかない声を発しながら。

 

 

答えは出た。

 

 

あ、普通の平日の朝だわ。

 

 

なぜこんなに混乱したかというと、

まるで1時間くらいしか寝てないような眠気の歯切れの悪さがあったからだ。

 

 

最近はめったに昼寝をしなくなったが、就職して数年の間、ちょっと昼寝しよと20分くらい寝るつもりで、2時間弱寝てしまうことがよくあった。

 

その時の目覚めは決まって最悪で、昼寝する前より眠気が悪化しているようであった。

 

しかも、夜に見る夢より不快感の強い夢を見ることが多かった。

 

 

今回の朝の目覚めはまさに気持ちのいい昼寝が叶わなかった、失敗の昼寝からの目覚めと同じ感じであったからだ。

 

 

そして、何よりも夢が悪すぎた。

 

 

どんな夢かというと、

 

食洗器に食器をうまい具合に入れようと奮闘するのに、それぞれの食器のベストプレイスが全然きまらない、

 

という夢である。

 

 

もう食洗器の呪縛にかかっているとしか言えない。

 

 

最近家を建て、念願のビルトイン食洗器が備わっているキッチンになった。

 

日本製の食洗器で上からすべて入れるタイプである。

 

外国製の前開きが夢であったが、値が張るので断念したのだった。

 

 

食洗器は実家にはあったが、自分が使うのは生まれて初めてである。

 

いざ使ってみると、私は食洗器のなかに食器たちをパズルのように入れるのがどうも苦手なようである。

 

最初のころは入れ方が悪いせいか、乾燥まで終わって食洗器を引き出してみると、

水圧で向きが変わってしまった食器や鍋の中に大量に水が溜まっていて、

結局手洗いをしなければいけなくなるという事態が毎回のように発生した。

 

 

それはもうストレスであった。

 

 

食洗器は手洗いに比べ手間が格段にかからないのが売りであり、

なんなら水道代もとんとんかむしろ節約になると聞いていた。

 

 

なのに、これでは手間も水の使用量も倍に増えているではないか。

 

食洗器を引き出すたびにどきどきして、2回に1回はがっかりする。

 

 

「こんなはずじゃなかったのに!」

と行き場のない憤りさえ感じていた。

 

 

最近は食洗器の入れ方動画などで学習し、失敗が減ってきてはいた。

 

しかし、依然として食器を入れる時にはあーでもない、こーでもないと頭を悩ませながら入れている。

 

 

その日々がたたってか、夢にまで出たのである。

 

 

もう自分に飽きれる気持ちである。

 

 

そんな小さいことにそんな神経使ってるのかよ、と。

 

 

食洗器を使いこなせない自分にもうんざりだし、

そんな小さなことで悪夢にうなされる自分にもうんざりだ。

 

 

朝はすっきり目覚めたいです、神様。

 

 

速く食洗器入れマスターになれますように。

心がざわつく人のミス

 

先日スタバに行ったときのこと。


出勤前にさくっと寄ってテイクアウト。

 

意気揚々と職場に向かう。

つもりだったのだが、、、

 


自分のタンブラーに入れてほしかったので、ドライブスルーではなく店内で注文することにした。

 

私のタンブラーはトールの容量がちょうどおさまる大きさ。

 

 

いつもはドリップコーヒーか頼んでもカフェラテが多いのだが、

この日は自分を甘やかしたい気分になり、甘い飲み物にすることに。

 

アイスのホワイトモカのアーモンドミルク変更・シロップ少なめ・氷少なめ・ミルク多め。

 

めんどくさいオーダーをしてしまい少々申し訳ないなと思いつつ、レジの男性クルーが黒エプロンをされていたので、さすがの対応で、

繰り返しての確認やレジの客用モニターで確認することさえ求められなかった。

 

 

作ってくれるのは優しそうなおばさまクルー。

 

おばさまと言うと失礼だろうか。

40代半ばのように見えた。

 

歳は関係ないのだが、

その店舗が新規オープンしたばかりの店舗であることに加え、

その女性クルーさんはまだ飲み物作りに少々不慣れなようであった。

 

作っているところを見守る。

 

 

タンブラーに入れるためか、普通のカップではなく丈夫なプラスチックカップに飲み物を作っていく。

できたホワイトモカを私のタンブラーに注いでくれる。

 

注ぎ終わった後もまだプラスチックカップの方に飲み物が残っていたのでたいそう多めに作ってくれていたのだなと思った。

 

 

タンブラーに飲み物を入れてから氷を入れる。

 

オーダー通り少な目の氷が投入される。

 


そして、「お待たせしました~~」と笑顔で差し出してくれた。

 

 

私はちょっと低いテンション(今から仕事なのがイヤだから)で、

「ありがとうございま~す」と言いつつ受け取る。

 

 

結構なみなみ入ってるな~

 

このままタンブラーのフタをしたらワンちゃんあふれるかもな~

 

まあでもフタの形状的にギリいけるかな~

 

などぼんやりした頭で考えつつ受け取りカウンターにカップを置いたままフタを閉めにかかった。

 

 


そう。

ですよね。

嫌な予感は的中。

 

 

じわじわ~というか、びしゃ~というか、

何とも言えない地味~な感じで中の飲みものがあふれてこぼれだしてきた。

 

 

あちゃ~~

 

と思いつつ、一旦紙ナプキンでふく。

 

 

拭いてみたものの、これは水拭きをしてもらわないとベタベタが残っちゃうなと思い、

 

先ほどの女性クルーさんに

「すみませ~ん、、フタを閉めようとしたらこぼれちゃったんですけど、、、一応拭いたんですけど(多分ベタベタしちゃうんで水拭きしてもらってもいいですか、、)」

と声をかける。

※()内は心の声。

 

 

すると、

「申し訳ございません!ちょっと拭きますね」

と私のタンブラーを一旦引き取って周りを拭いてくれた。

 

私としては、もう余分なところはこぼれたしその状態でフタをしても大丈夫でしょ。

と、その中身のままタンブラーが渡されるのを待った。

 

 

しかし、女性クルーさんは黒エプロン男性クルーさんにどうしたらいいか相談しているようだ。

 

すると、黒エプロンさんは横目で無言のまま話を聞き、

5秒くらい空気が止まった後、

 

「あ~もうしょうがねえな、このおばさん」

という空気(※私が勝手に想像しただけ)をまといながら女性クルーさんからタンブラーを受け取ると、

入っていたなみなみの飲みものを流しにザァーッとこぼしてしまったではないか。

 

 

マニュアルとしては、そういう不注意で飲みものが少しでも完全な状態でなくなってしまった場合作り直すことになっているのだろうが、

その一連の流れを見ていていたたまれない気持ちになってしまった。

 

 

その後、黒エプロンさんが光の速さで作り直してくれ、

完璧な状態で再びホワイトモカを提供してくれた。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。」

と言ってくれ、手渡してくれたが、

 

私は、無表情&小さい声で「ありがとうございます…」と言うしかなかった。

 

 

「全然大丈夫ですよ!なんだかこちらこそすみません!」

と明るく言いながら受け取っていたら、彼らにとっても、私自身にとってもなんでもないこととして通り過ぎたのかもしれない。

 

 

しかし、その日のその時の私にそんな心の余裕がなかったので、後味が悪い感じになってしまった。

 

 

そもそも私が変に挑戦せずに、ちょっと中身を飲んで少なくしてからフタを閉めていたら起こらなかった出来事だ。

 

 

何がいたたまれないかと言えば、黒エプロンさんの態度に女性クルーさんが傷ついただろうということだ。

 

 

それじゃなくても、

スタバで働くにしてはちょっと歳が上で肩身が狭いかもしれないのに、

完全に年下であろう男性クルーからあんな馬鹿にするような態度をとられ、、

 

私だったらかなり自尊心が傷つき、自己嫌悪に陥ることだろう。

 


誤解していただきたくないのは、すべて私が見て勝手に感じたことだということだ。

 


黒エプロンさんは別に女性クルーさんを馬鹿にしていないかもしれないし、

女性クルーさんも何も思っていないかもしれない。

むしろその可能性のほうが高い。

(じゃあなんで一人で盛り上がってるんだ←)

 


しかし、その時はホルモンバランス的に?出勤前だから?

原因は定かでないが私の心の安定感がまったく足りておらず、

些細なことに怒れたり、傷ついたりできる状態であった。

 

 

共感性羞恥という言葉がここ数年よく聞かれるが、

共感性落ち込み?

共感性自己嫌悪?

的なことがその時には起こっていた。

 


ドリンクを受け取って車に戻り、職場に向かう。

 

そこから職場までは車で2分くらいなのだが、

その短い時間なのに車を発進させてちょっと運転していたら、

やるせない気持ちが込み上げてきて泣けてきた。

 

 

やるせないというか、

 

「もう全部やだ!もうやめたい!!(何を?)」

 

みたいな闇深い気持ちが襲ってきた。

 

 

「死にたい」と言葉だけで言いたくなるような気持ちというのだろうか。

 

何もしたくないし、一旦自分もこの世から離脱したいみたいな。

 

 

こんな小さなことでここまで一瞬で病めるなんて、だいぶ情緒不安定だと思われそうだ。

 

実際そうとも言えるが。

 

 

すぐ職場についてしまうのに、涙が出そうになって焦った。

 

ちょっとうるうるはしていただろう。

 

この自分の精神状態も心配になり、さらに心が不安定になりそうだった。

 


しかし、出勤はしなければいけないので、重い心のまま職場へ。

 

「こんにちは~」と職場に入る。

 

 

私のささくれだった気持ちが言動に表れていたらしく、

「何?前の車がのろのろしててイライラしてたでしょ?」

と言われ、

 

いつもなら、

「いやいや、違いますよ~~」

とへらへら請け合うところを、

 


「いや、なんというか、、、ほんと別に何があったわけではないんですけど、突然人生すべてが嫌になったんですよ」

 

と病みMAXの発言をしてしまった。

 

 

メンヘラじゃん、これじゃ。

 

そんなキャラでやってないのに。

 

 

他の同僚(おじさん①)は、

「え、何?マリッジブルー?」

などと突っ込んできた。

 

何つまらないこと言ってんだと周りの人たちは思ったかもしれない。

 

実際他のおじさんは、

「結婚してもう結構経ってるからそんな時期じゃないよね」

というようなことを言っていた。

 

 

しかし、結構いいところをついているなとおじさん①に少し感心した。

 

私は「まあ、それもあるかもしれません、ハハッ」と一応受け流したておいた。

 

 

結婚生活に対してもやもやした気持ちがあるのは感じていて、

占いにでも行こうかと(ガチで)悩んでいたので、

そのうまくいっていない今の状況を自分で認めざるを得ない感じになってさらに気分が落ち込んだ。

 

 

 

ただのスタバの話が結婚生活への不満(不安?)の話にまで飛躍してしまった。

 

 

自分の精神状態コワイ。

 

 


とはいえ、切り替えは早い方なので(というかすぐ忘れちゃう)、

30分後には通常運転にすっかり戻ったのでした。