※画像は画像だけでも明るいものに、ということで、記事内容に出てくる階段とはイメージを異にするものです。
先日、朝、ごみを出しに行ったときのことである。
マンションの3階に住んでいるので、サンダルを履き、玄関を出て、軽快に1階まで降りた。
30秒ほど歩いてゴミ捨て場にゴミをポイッッと放り、さっさと部屋に戻ろうと、歩くのとほぼ変わらない速度の小走りでマンションまで戻った。
そして、また軽快に階段を上り2階につこうとした、
その時、
階段につまずき「転びかけた」。
「こけた」という表現にすれば「こけかけた」ではなく、「こけた」になるだろうという程度だ。
自分のイメージより足が上がっていなかったため、段の上のところにサンダルのつま先部分がひっかかったのだ。
手が出なかったら脛と顔面を強打していたことであろう。
想像するだけでぞっとする。
最近自分の「老い」を感じるようになった。
こういうことを言うと、職場のおじさま方からは
「まだ十分若いよ!」
「若いのに何言ってるの!」
「そんなこといったら俺たちはどうなるんだ」
というような、励ましとも、羨みともとれる声がバシバシ投げかけられる。
確かにそのおじさま方より20歳くらいは若い。
比べたら若いのだけれど、個人内評価で考えると、
「ああ、自分年取ったな~」
「三十代にのるというのはこういうことか…」
など、ため息が漏れるようなことが増える。
【老化を感じる瞬間①】
「躓く」ことが多くなったこと
先に書いたように、階段を上がっていくときに段より足の持ち上げが低くてつっかかる。
残念極まりないが、それはまだ理解できる。
階段という「障害を越えて進む」という少しハードルの高い行為なのだから時には失敗もあろう。
しかし、なぜだろう。
何もない平らな場所で躓くのだ。
さすがに、「老い」を感じずにはいられない。
そんなことがある度、
「『足を上げないで歩いたり、小股でちょこちょこ歩くと早くボケる』というから、しっかり足を上げて大股で歩くぞ」と突然意識し始めるのだが、その意識は長く続かず、
次の日、もっと悪い場合には、数時間後に同じように何もないところで躓いているのである。
【老化を感じる瞬間②】
体のどこかしらが不調子
ぎっくり背中が一時期癖になっていた。
(整体に行ったらよくなったので、この話は違う記事で。)
背中のみならず、膝の違和感(痛みとも引っ掛かりともいえるような)は階段の上り下りでしょっちゅう感じる。
冷え性がひどくて足がむくむ。
お肌がのコンディションがすぐれない日が多く、しみ・くすみ・毛穴の開きなど悩みが絶えない。
紫外線に敏感になり、少しの日差しが怖く、夏が前ほど好きじゃなくなった。
ほっぺたの肉がたるみ、変な線が入って、重力には逆らえない…と肩を落とす今日この頃。
手のカサカサがが年々増している。昔母親に「○○ちゃん(私のこと)の手はウェッティーだ(手汗がひどい)ね」とディスられていたくらい、水分に満ちていたのに…
【老化を感じる瞬間③】
体にいい(ように思える)ものを無意識に求めている
「生姜」「からだポカポカ」「乳酸菌」「腸活」「イキイキ」「1日分の鉄分」などと書いてあると、つい手が伸びてしまう。
②で書いたようにいつも体のどこかしらに不調子を感じているためだろう。
「自分ももう若くないのだから健康寿命を延ばすために、自分に栄養を与えねば!」と半ば強迫観念に駆られていろいろな商品を見あさってしまう。
最近実感として納得いかない収支バランスで、「なんでこんなにお金が出て行くのだろう、そんなに贅沢してるわけでもないのに」と不思議でたまらないのだが、その原因の一つには健康用品・食品の出費がかさんでいるせいだろう。
毎朝飲む青汁、プロテイン、毎食前に飲むサプリ、牛乳代わりにしているアーモンドミルク……
健康維持(のために努力しているぞという精神的安定)にはお金がかかるようだ。
挙げていけばきりがないのだが、だんだん悲しくなってきたのでここらへんでやめておく。
「老い」を感じるこの頃ではあるが、世の中的にアラサーは「働き盛り」、「ライフステージの変化てんこ盛り」、「いきいきと生きる」の代名詞のような世代なので、弱気なことばかり言ってられない。
上に書いた体の不調などは8割がた気持ちの持ちようでどうにかなりそうなので、私もアラサーらしく、「まだまだ若いぞ!」と自分を励ましながら(ごまかしながら)、少しでも若々しく日々を生きたいと思う。