8年ほど前。
四月一日(いっぴ)の辞令伝達式で偉い人(誰かは忘れた)が言っていた。
「自分探しはもうやめてください」
社会人生活が始まるという日に聞いたその言葉。
私は思わず「はあ?」と言ってしまった。
心の中で。
その言葉が強烈すぎて、その前や後に何を話していたか全く覚えていないのだが、おそらくその偉い人は、
「この仕事に採用されて、今日から社会人生活が始まるのだから、この仕事は向いていないかもしれないとか、他の道はなかったのだろうかとか、逃げの思考をすることなく、まずは目の前のことにきちんと向き合ってがんばっていってほしい。」
ということを言いたかったのかな?と理解した。
確かに、仕事が始まったばかりの時には自信を失ったり、気弱になったり、辞めたくなったりする場面が多い。
だから、そんなときに自分探しの旅に出ます的な感じで、休んだり辞められたりしたら迷惑なのわかる。
しかも、苦しい中でも続けてやってみてこそ、やりがいを感じられるようになってきたり、単純に慣れてきてストレスを感じることなく仕事をこなすことができるようになったりする。
辞令伝達式で新規採用の社員たちを前にその言葉を放った意図はわからなくもない。
しかし、今考えてみても「はあ?」と言いたくなる。
「はあ?何言ってんだ、じじい」(口が悪い)
そんなだから日本はいつまでもブラック企業がはびこって、仕事に行き詰って病む人が後を絶たないんだ。
保守的で、石橋たたきまくりで、世界に遅れをとっていくんだ。
なんの話?という感じだが、自分探しをする時間がないのもそういうよろしくない状況を生む原因なのではないか、と思うのだが、、、
どうだろうか。
日本の企業に勤めていたら、“夏休み”がとれると言っても、5日くらいの夏季休暇を細切れに割り振ってとったり、まとまってとれたにしても1週間がせいぜいだろう。
いや、うちはもっと長くがっつりとれるぞ!という会社もあるだろうが、本当に一握りだと思う。
欧米のように(といっても国や個人によって差はあろうが)、
「2週間バカンスに行ってきまーす♪」
みたいな状況というのはそうそうない。
そこである。
2週間の休みが取れたら、何をするか。
家に引きこもるという人も案外多そうである。
それはそれでいい。
しかし、旅に出る、いつもはできないことをする、という人が多いのではないだろうか。
私だったら、という話をると、
それだけの休みがあったら、海外旅行に行く。
最近のやりたいことリストから選ぶならば、短期留学(語学研修)をする。
そうすると、どうなるか。
いろいろなものを見て聞いて食べて感じて、様々な刺激を受ける。
その過程で自分を見つめる時間もあると思う。
今の仕事のこと、人間関係、はたまた、自分の将来。
その時間が大切なのだと思う。
そこで自分を確認する。
確認していく中で、新たな自分がみつかるかもしれない。
それがまさに自分探しである。
自分探しは将来を固めていく上でも重要であるし、何より自分の成長のために必要なのではないか。
そう考えるとますます
「自分探しはもうやめてください」
という言葉は、
「あれこれ考えず言われたことをこなしていく社畜になれ!」
という言葉にしか聞こえなくなるのである。
そんな働き方では、新たなる創造もされず、自発的な意欲も掻き立てられないから生産性も落ちると思う。
私は今も絶賛自分探し中である。
年に何回かの病み期に(←)、自分について考える。
なんなら、1回仕事を辞めて1~2年海外留学したい。(ワーホリの権利がある年齢のうちに決断できなさそうだが、ワーホリはとても魅力的である)
そんなふうに考えている。
しかし、そこまでの勇気はなくて、せいぜい2週間の短期留学が限界な気もしているが。
ちなみに、1回辞めてもまた今の仕事に就きたいとも思う。
海外で経験したことを還元したいし、できると思う。
じゃあ辞めない方がいいんじゃない?と思うかもしれないが、思い切ってちょっと長い期間留学しようと思ったら辞めるしかない。
自己啓発のための休職制度などがないからだ。(贅沢言ってる?)
そんなこんなで、自分の勇気のなさを誰かのせいにしたいだけかもしれない。
若干何の話か分からなくなってしまった。
だらだら書いてしまったが、共感してくれる人がいるといいな。
ということで、私はこれからも懲りずに自分探しを続けます。
婚活はしません。(何の話?)
おわり