ussamのつぶやきダイアリー

日々のつぶやき、美容、ダイエット、本の感想などゆるく書いていきます。

習字教室待ち と 少しの後悔

 

ふと思い出したことがあった。

 

私の実家の最寄りの幼稚園がある。

私は保育園組だったので、ここには通っていなかったが一度建物の中に足を踏み入れたことがある。

 

 

それは小学校2年生くらいのころである。

 

小学校時代と言えば、家が近い子と仲良くなり毎日のように遊ぶというのが普通であった。

何人か仲の良い子がいて、みんなで一緒に遊んだり、二人で遊んだり、とにかく毎日学校が終わった後は遊びに行くというのがお決まりであった。

 

その日も学校から一緒に帰ってきたAちゃんに

「今日遊べる?」

と聞いたところ、

「習字に行かなきゃならないんだよね~」

と言いながら頭の中でシミュレーションしたらしく

「でもその間だけ待っててくれるなら遊べるよ」

と言われた。

 

私としては”待つのちょっとだるいな”と思ったのだと思うが、

そう言われると断るに断れず、「じゃあ遊ぼう」ということになった。

 

 

その子の家に行きちょっと時間をつぶした後、習字の教室に私もついていくことになった。

その教室の場所がその幼稚園だったのだ。

何回も前を通ったことはあるが、内部は未知の世界。

 

しかも、部外者。

 

私は、

入ってもいいのかな?

怒られないかな?

誰かに話しかけられたらいやだな…

とネガティブな感情に満ちたまま、園の中に入る。

 

2階のひと教室を間借りしているようで、習字教室に来た子たちがその教室に入っていく。

私はさすがに教室の中には入れないし、Aちゃんが「廊下で待ってたらいいよ」と言うのでそうすることにした。

 

 

スマホがあるわけでもなく、ゲームも持ってきてないし、本もないし、手持無沙汰な時間が流れる。

 

鮮明に記憶しているわけではないが、待っている間これといって何をしていたわけでもなかったと思う。

 

座っていればいいのか、立っていればいいのか。

誰かに「どうしたの?」「なんでここにいるの?」と聞かれたらどう答えようか。

 

できれば誰も来てくれるな、

早く習字終わらないかな

と考えることだけをしていた。

 

そういう変な緊張状態に置かれるとトイレをもよおすタイプなので、多分「やばっトイレ行きたいかも」とも思っていたことであろう。

 

小学生の習字教室なんぞ、30分そこらのものだろう。

しかし、その時の私にはその時間が永遠に感じられた。

 


友達を待っているのだが、孤独感に襲われる。

 

不安、緊張、退屈。

 

そんな時間だった。

 

 

トラウマとまではいかないが、今後そういう誘いは断るようにしようと誓った。

 


Aちゃんとは一番仲が良かったといっても過言ではないほどに、高頻度で遊んでいた。

Aちゃんのおばあちゃんにもよくしてもらった。

 

そんなAちゃんは親の離婚?で引っ越しをすることになってしまった。

恐らく小学4年生くらいの頃だったと思う。

 

隣町といえば隣町だったが、車で40分くらいはかかる場所だったので子供同士が遊ぶには遠すぎた。

 

引っ越した後も手紙のやり取りは何年かしていたが、あるとき手紙が途絶えてしまった。

中学生になって忙しくなったのかなと、私も連続で手紙を送るようなことはしなかった。

 

ケータイも持っていなかったのでオンラインでつながることもできず、音信不通になっていた。

 

 

手紙が途絶えてから数年たったころだったと思う。

 

私は電車通学だったので家の最寄り駅に帰ってきたとき、

駅の出口のところに座り込んでいる女の子がいた。

 

何年も会っていなかったが、Aちゃんかも?という気がしてよくよく見てみるとAちゃんだった。

 

「どうしたの?久しぶり!元気?」
「なんでここにいるの?」

 

「なんか懐かしくなって、○○ちゃん(私)にも会えるかなと思って来た~」

 

「そうなんだ……」
「どうする?うち来る?」


「迷惑だから大丈夫だよ~もう帰るし」

 

 

そんなやり取りをして、それほど長話もせず、連絡先の交換もせず

「じゃあ、ばいばーい」

と数年ぶりに親友だった子と会ったとは思えない別れ方をしてしまった。

 

 

家に帰って、母にそのことを話すと

「連れてくればよかったのに!何か話したいこととかあったんじゃない?」

というようなことを言われ、後悔のようなそわそわした気持ちになった。

 

何日かその日のことを引きずっていたが、自分の生活が忙しくいつの間にかまた忘れてしまった。

 


私は、完全なる人見知りで、今でこそ大人になって最低限のコミュニケーションは頑張れば普通にとれるが、

昔仲が良かった子と久々に再開した時という場面においてどういう反応をしたらいいのかまったくわからず、

また、少々の照れくささもあって何もできなかった。

 


大人になった今でも1年に1回くらいは思い出す出来事となってしまった。

 

 

全然住んでいるところが違うし、結構暗くなってくる時間に一人で当てもなげにしゃがみこんでいるというのは”訳あり”でしかない。

 

なんでそこでもうちょっと話を聞いてあげるとか、家に連れていくとかできなかったのだろうか。

 

 

「あんたはクールだからね。」と遠回しに(遠まわしにでもないか)冷たい人間だと、母に言われることがある。

否定したいところだが、結局こういうところなんだなと思う。

 

 

とっさに世話を焼いたりできない。

 

言われたら迷惑かなとか、

逆に遠慮させちゃうかなと、

裏の裏を読んで行動を間違うということが多い。

 

 

自分がその立場だったら察してほしい、と思うことも見てみぬふりをしてしまうことがある。

 

寂しいのかな、

悩みでもあるのかな、

困っているのかな

と瞬時にいろいろな妄想をし、あらゆる可能性を考えることは得意なのだが、

 

どうせ言わなくてもわかってるよな、とか

私に心配されても迷惑かな

と思って躊躇してしまう。

 

これはある種自分がどういう形であれ傷つかないための自己防衛策だともいえる。

 

そんな自分の冷たさというか厄介ごとは避けて通るという、コミュ障の一面が強く出た体験だった。

 

 

ネガティブな感情の体験として心に残っている。