ジェットコースターなど絶叫系が苦手だという人は多い。
理由は様々だと思うが、
三半規管が弱くて酔ってしまうとか、
高所恐怖症だとか、
あの胃がふわっとする感じが苦手、
という人が多いのではないだろうか。
私の夫は上記3つには当てはまらない。
乗ろうと思えば乗れるがすすんで乗りたくはないという部類だというが、
その理由が、
安全性が信用できないから
だそうだ。
インフラ系の仕事をしている夫からすれば、
かなりチェックやルールが厳しく精鋭が集まってくる自社でさえ事故が起こることがあるのに、
遊園地やテーマパークの整備が自社より水準が高いと思えない。
だから、危険極まりない。
ということらしい。
万が一のことがあって途中で止まったり、さらには命を落としたりということもあるだろうから、乗りたくない、
と言うのだ。
甘い。
考えが甘いんだよ。
私は絶叫系が大大大好きである。
高いところも、あのスリルも、疾走感も、胃のふわっと感も、
全部好き。
いつか何かの文章で、
「ジェットコースターは“死の疑似体験”である」
というような話を読んだ。
“通過儀礼”とも書いてあった。
どこかの国の小さな村で男子の成人への通過儀礼として、バンジージャンプをする。
そのバンジージャンプはもちろん安全帯などなく、木の弦をつなぎ合わせたようなロープで足首をしばる。
そして飛ぶ。
何人も同じ弦でやるのでどんどん伸びていってしまう。
やがて弦が地面につくくらいの長さになっていって、飛んだはいいものの地面に頭を打ちつけて亡くなる子が出るらしい。
ジェットコースターはそのバンジージャンプと同じようなものだとその筆者は語っていた。
(※という記憶があるが、自分の記憶は全く信用できないので、間違っていたらすみません。)
つまり、ジェットコースターも生きるか死ぬかの賭けであり(←)、
死ぬかもしれないという覚悟を持って乗るべきなのである(←)。
その覚悟があれば、まったく怖くない。
私はその覚悟がある。(ドヤー)
ジェットコースターに乗った時には、
落ちていくときに絶対両手を上げて(離して)、楽しそうにすることにしている。
ジェットコースターに乗るのだから、
万が一死んでも仕方がない、死んでもいい、
という気持ちで乗っている。
生への執着がなさすぎだと言われるかもしれないが、実際そうだ。
「生きてることがつらいなら」という森山直太朗の歌が好きで、
“恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り”
と言っている。
もし万が一のことがあってジェットコースター事故で死んでしまったとして、
私の周りの人は数日間悲しんでくれるであろうが、
きっとすぐ元通りになる。
私は人生にまったく未練がないかと言えば、そうではない。
まだ旅行したい場所もあるし、食べたいものもある。
でも、死んだら死んだでその運命を甘んじて受け入れる。
多分子供がいないからこんなことを言えるのかもしれない。
結婚したので夫はいるが、夫は私がいなくても生きていけるし、むしろ第二の人生として楽しんで生きるだろうと思う。
しかし、子供は自分の庇護を受けないと生きていけない存在であるし、自分としても守りたいという本能が動くのだろう。
今の状況だから、
人生舐めた感じで、
「ジェットコースターに乗るからには死ぬ覚悟がある。」
とドヤ顔で言えるだけなのだろうが、
私にとってジェットコースターに乗るとはそういうことだ。
とは言うものの、
本当に絶叫系の(ディズニーとかの生ぬるいやつじゃない)ジェットコースターに最後に乗ったのはいつだったか……
富士急行きたいな~~~~