ussamのつぶやきダイアリー

日々のつぶやき、美容、ダイエット、本の感想などゆるく書いていきます。

秋ですね

 

今年も秋になりました。

(秋になっていくらか経ちました。)

 

ふと気づくと金木犀の香りが漂っていました。

 

金木犀って匂いはするのにその木そのものがどこにあるかわからないってあるあるだよな~
なんてことも思いました。

 

 

 

毎年秋は病みの季節です。

 

秋は寒くなり始め、どんどん日が短くなっていきます。

寒さと暗さは心の寒さと暗さも連れてくるようです。

 

そんな時期に病みが襲ってくるのは当然です。

 

人肌恋しい、何となく感じる孤独感。

冬眠態勢に入るという本能によるものか、猛烈な眠気と無気力感。

 

ため息の数も多くなります。

 

 

しかし、冷静に考えてみると、

病みモードというのは自分が作り出していて、

「秋になると病みモード入っちゃうんだよね」と自己陶酔しているにすぎないのかもしれません。

 

 

まあ、なんにせよ、秋です。

 

 

暗い雰囲気の文章になってしまいましたが、私は四季のうちで秋が一番好きであることをここに告白します。

(告白というほどのことでは全然ない、ということは承知しています。)

 

 

秋の味覚(さつまいも、栗、かぼちゃ)最高!

秋の気候(べたべた感がなくなり、気持ちのいい秋晴れ)最高!

読書の秋

スポーツの秋

紅葉狩り

 

 

○○の秋という言葉が多いことからもわかるように、秋は日本では一番過ごしやすい、何をやるにも最適な季節だと認識されていることがわかりますね。

行楽シーズンとも言われます。

 

私の体感もまさにそう。

 

暑すぎてムリぃぃぃとなっていた大好きなお散歩も再開できます。

 

 

 

今年の秋が長いことを祈って。

試着室での物思い

試着のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

今まで30年以上生きてきて、服を買う際に試着をしたことは何度となくあったが、
よくよく考えてみると「これって結構シュールな状況では?」と思ったのである。

 

 

今日ユニクロに行った。

ユニクロのような大きな店舗の試着室は何個も並んでいる。

 

そのようすの俯瞰図を想像してみた。

 

薄い壁一枚挟んだ箱。その箱の中ではパンツや下着一枚になって着替えをしている。

女性と男性でエリアが分かれていることもあるが、私が言った店舗は共同使用である。

 

壁で隔たっているのだから当然隣の人は見えないのだが、1メートルも離れていない場所で見知らぬ人が下着姿で並んでいるのである。

 

 

別に何もおかしいことではない。

 

しかし、冷静に俯瞰してみてしまうと、なんとも奇妙な状況のような気がしてくるのである。

 

ついでに言えば、ちゃんとしたドアではないカーテンのところも多く、

強い風が吹いたり←

誰かが不意にもたれかかってきたり←

子供がいたずらしたり←

したら、仲の人の情けない下着姿、または、着替え中の姿が丸見えである。

 

そんなことにはならないだろうが、毎回ちょっとドキドキハラハラしてしまうのである。

 

 

こんなことを考える私はおかしいだろうか。

 

 

ズボンの試着をするためにパンツ1枚(上は着ている)の状態のときにこんなことを思ったのでした。

 

 

ちなみに6着試着して、1着も買いませんでした。

 

 

ほしいかもしれない商品はありました。

 

 

決断力がにぶっていくのを感じるアラサー(オーバーの側)の秋の日。

あゝ我が集中力よ

あなたの集中力は60分?:肩こり・腰 らくらくセンタ- つぼうち

 

最近の集中力のなさは異常である。

 

最近とは言ってもここ2年くらいがより悪化傾向にある。

 

 

まず、読書しようと本を開く。

 

2ページくらい進んだところでまったく違うことを考え出してしまう。

 

今日の夜何食べようかな、

今週末何しようかな、

そういえばこれ調べようと思ってたんだった!

などなど。

 

今考えなくてもいいようなことが次々と浮かんできてしまう。

 

本の内容がつまらなければそれもしょうがないだろうが、私が読む本は自分が読みたいと思って借りてきた本であり、現におもしろい本である。

 

 

ドラマを見ていても同じだ。

 

自分が積極的に鑑賞しようと思って見始めた今ホットなドラマ。「うん、確かに最近のドラマの中では断トツおもしろい!」と思うようなドラマでも途中でまったく関係のないことを考え出してしまう。


今日の株かはどんな感じかな。

秋の味覚のおいしそうな料理調べようかな。

最近っておもしろそうな映画やってたっけかな?

 

 

この時もちろんドラマの内容は頭に入って来ず、あれ?なんでこんな場面になってるんだろう?

ということで少し巻き戻して見直す。

見直している間にまた別の考えに神経が持っていかれる。

そんな繰り返しである。

 

 

自分の集中力のなさにうんざりする。

 

高校3年生の受験勉強をしているときが自分の集中力のピークだったことは大学生時代から感じていたことだが、衰えのスピードが速すぎて焦る。

 

なんなら記憶力もどんどん落ちている気がする。

 

 

このままでは何かに集中して楽しむ、趣味関連のことを覚えて人と語らうみたいなこともできなくなるのではないかと戦々恐々をしている。

そんなことになったら生きる楽しみがなくなるではないかと。

 

 

この集中力のなさはスマホ依存症の弊害の一つではないかとも思っている。

そんなような内容のネットニュースや本のタイトルを見かけたことがあるような気がする。

そうであるならスマホの使用を控えるべきであるが、今の私の楽しみはその小さい割にズシッと重量のある端末に詰まっているのである……

 

 

皮肉なことだ。(「皮肉」の使い方合ってる?)

 

 

「他のことを忘れて、時間を忘れて没頭できる何かがほしい。」

と、自分の集中力をあてにするより、他の楽しみが見つかる奇跡を信じる私なのでした。

結婚式・披露宴を終えて

 

結婚式と披露宴を予定通り無事終えた。

 

 

まず感想としては

「やってよかったな」「いい式にできたな」

というものだ。

 

自分たちの努力ももちろんあろうが、それよりも周りの人たちの支えなしには成し得ないことであったなと思う。

当然のことであるが、改めて支えてくれる人たちのありがたさを感じた。

 

 

準備に携わってくれたプランナーさんはじめ、会場の方々。

金銭的援助をしてくれた両親。

何より、当日参列してくださった親族のみんな。

 

中規模以上の結婚式・披露宴の定番の演出はできなかった(やらなかった)にもかかわらず、会を温かで楽しい雰囲気に作り上げてもらえたことが本当にありがたかったなと思う。

 

自分側の親族はもともと明るくておしゃべり好きが多いので間が持たなくてシーーーンとしてしまうという心配はもともとしていなかったが、

夫側の親族も前評判とは少し違い(語弊があるかもしれないが)私たちの結婚を温かく祝福してくれ、甥っ子姪っ子ちゃんたちのおかげもあり和やかなムードで終始進行していた。

 

祝福される幸せを感じることができ感無量だった。

 

 

みんなに撮ってもらった写真を見ると私の表情がうれしそうで、客観的にも「ああ、祝ってもらえてうれしいんだな」というのがわかる。

 

実はと言えば、当初はフォトウェディング+私の家族(兄弟まで)との食事で終わりでいいかなと思っていたのだが、従妹や叔母たちが「結婚式に参列したい!」と熱望してくれたため、じゃあ親族まで広げて招待しようか…となったのである。


そうなった後も、「極力演出はなし(シンプルに)の方向でいいよね。」とムービー等も作成する予定はなかったのだが、夫が友人の結婚式に参加して「やっぱオープニングムービーはあったほうがいい」と言うので、作ることになり、「せっかくだから生い立ちムービーも作ろうか」と話が大きくなり結局どちらも作成した(夫主導で)。

 

どちらのムービーも私たちがいない間に流したのだが、評判は上々で、前撮り写真を褒めてもらったり幼少期の写真を楽しんでもらえたり、結果「やっぱ作ってよかったね」となった。

 

式中は両親のうれしそうな顔が見れたし、

おじやおばが私の結婚を喜んでくれたし(おそらく自分の子供結婚式を想像したことだろう)、

グループごとの写真撮影で少しずつだがみんなと楽しく話せたし、

 

くさい言い方をすれば、幸せを絵にかいたような時間であった。

 

 

式中にはめちゃめちゃ仲良しというわけではない従弟たちが高砂まで挨拶をしに来てくれて、祝ってくれて昔の思い出にも花を咲かせることができ、私なんかの結婚式に来てもらうのが申し訳ないな(ご祝儀も交通費も痛い出費だろうし)と思っていたのだが、そんな気持ちを払拭してくれるような温かさに感動した。

 

 

また、弟の一人が社会人になってから得たコミュニケーションスキル(接待スキル?)を無駄に(もとい、遺憾なく)発揮して、夫側との親族に絡みに行って盛り上がっている様子も見られてなんだかほっこりしたというか面白くもあった。

 

 

会が終わってお見送りするときや、翌日ホテルの朝食会場で、

「いい式だったよ」「きれいでびっくりしちゃった」

など、温かな言葉の数々をいただくこともできた。

 


準備段階では誰を呼ぶ呼ばない、お金をどうするといったシビアな問題でもめたり(ちょっとしたケンカ)もしたが、一週間前くらになれば「きれいな衣装着るの楽しみだな~おいしいごはん楽しみだな~」という気持ちになり、当日をポジティブな気持ちで迎えることができた。

 

 

終わってみれば、いい感想しかなく、もう少しこうすればよかったということもほとんどなく、すがすがしい気持ちでいっぱいである。

 

 

やるやらないの話で始まった結婚式と披露宴がこんないい形で終えることができて大満足だし、とっても幸せだ。

 

 

親族の子供たち(同じ年代ライン) の中で私が一番年上なので、これから多くの結婚式に参加することになるだろうが(呼んでもらえれば&みんながいい縁に巡り合えれば)、そのときには今回の幸せな気持ちをお返しできるようにしたいなと思うのでした。

 

支えてくれる人があっての私だなと思います。

コロナ明け初韓国~迷走&もやもや~

 

韓国好きで有名な私は(←)、大学生になって以降ほぼ毎年韓国に旅行に行っていた。


就職してからも年に2回ほどしかないまとまった休み(3日間くらい(涙))には、韓国に行っていた。

 

留学時代の友達に会いに行くのと、本場の韓国料理を食べるのが大きな目的であったが、韓国にいた友達も自国に帰国してしまったり、就職して遊ぶ時間が取りづらくなったりしていった。


それでも、“非日常を多少慣れた場所で(少々矛盾している?)味わう”ということのためにも、韓国旅行は私の「仕事をがんばれる理由」になっていた気がする。

 

しかし、コロナが流行し出し、毎年の韓国旅行は中断せざるを得なかった。

 

 

そして、今年の夏、ついに一切の制限がなくなり、コロナ以前と同じように旅行できるようになった。

 

 

「待ってました!」とばかりに、私は航空券を検索し出した。

 

母親も韓国が好きなので、一応誘ってみると一緒に行きたいと言うので、母娘の二人旅となった。

 

今回の旅の一番の目的はプサンにいる友達に会うことである。

その子とは韓国留学中に出会い、留学中や旅行に行ったときにはよくしてくれ、今でもカカオトークで折に触れて連絡を取り合う仲である。

その子の結婚式に参列したのが5年前…そこからコロナで会えない状態が続いていた。

 

その子は夫の転勤に伴って、海外に行って帰ってきて、帰国後はプサンに住んでいる。

その子に会うことが今回の目的ではあるが、コロナで旅行ができなかった間、ソウルの観光スポットやおいしいお店の情報が多く入ってきていたため、場所だけで言えばソウルに行きたかったのだ。

 

 

プサンとソウルに行くという2つの目的を叶えるため、今回は4泊5日(内訳:ソウル2泊、プサン2泊)という強硬手段をとった。

 

そんな強硬ではないのでは?と思われるかもしれないが、移動にとられる時間が想像の2倍くらい長く、もったいない感の強い旅行となってしまったので、4泊などの短い期間での2都市以上の旅行はおすすめしない。

 

 

 

まずソウルでのことを書こうと思う。

 

今回の出発は夕方便であったため、1日目というのはほぼあってないようなものである。

そして3日目の朝早くにプサンに行こうという計画を立てていたため、ソウルで遊べるのは2日目の1日だけであった。

 

結果…まったく行きたいところに行けず……新たにできた施設や話題のホットプレイスなど新規開拓はあまりできず、何より暑さに負けてショッピングセンターで涼むという時間が想定の3倍くらい発生してしまった。

 

YouTuberがおすすめしていて行きたいと思っていたサムギョプサル屋さんには意地で行った。
だが、記憶が美化されているからか、サムギョプサルも感動的なおいしさとまでは行かず、食べることができてうれしかったもののなんとも言えない気持ちであった。

 

おいしかったのは間違いないことだけは申し添えておく。

 

とはいえ、ソウルでは小劇場でミュージカル(昔からやっているド定番演目)も見た。

 

これは期待値がそこまで高くなかったからか満足度が高かった。

自分と母が韓国語がある程度聞き取れるというのも大きかったと思うが、リアルタイムで見るエンタメは新鮮であった。舞台にはまる人の気持ちが少しわかった。

 

 

次にプサンである。

 

プサンが強敵であったのは言うまでもない。(←)

 

まず、日本の新幹線にあたるKTXプサンに向かうためソウル駅へ。

そこで切符を買おうとするも、なんと!その日のプサン行きの列車は軒並み立ち席しか残っていず……

日本の新幹線(こだまとかひかりの自由席)のノリでいたのが間違いであった。

 

「立ち席ってどんなシステムやねん……」とエセ関西弁で毒づきながらも、仕方がないので、立ち席の切符を買って乗車。

 

無事プサンについて観光をするも、暑すぎて集中力が皆無。あっという間に次の日に。

 


プサン2日目は友達との待ち合わせの場所まで海岸電車?のような海沿いを走る観光電車に乗って行こうと思っていた。

その電車の駅まで地下鉄とタクシーを乗り継いで到着。

ホームまでの暑い道を歩き切符を買い求めるため、窓口へ。

 

なんとなく察しておられるかもしれないが、

そう、、、近い時間の切符は売り切れていたのだ。

 

次は早くても1時間半後……これではお昼を一緒に食べようと言っている友達との約束時間を大きくオーバーしてしまう。

仕方がないので諦めてタクシーで当初の待ち合わせ場所の近くのご飯屋さんに向かい、そこで落ち合うことになった。

 

この日はお昼までに地下鉄とタクシーにしか乗ってない…なんでこうもうまくいかないものなのか……と少々気落ちしていた。

 

友達と無事合流し、おいしいご飯を食べ(おごってくれた)、思い出話や近況報告に花を咲かせる。

そしてカフェに行こうということでその子の車で向かう。

ついでに行ってみたかった海辺のお寺にもちょこっと寄ってくれた。

 

連れて行ってくれたカフェは地下鉄などの公共交通機関では行きにくい場所にある韓屋カフェ(韓国版古民家カフェ)。

自分たちだけで観光していたら行こうと思わなかったであろう映えなおしゃれカフェに行くことができて、おいしい飲み物とケーキを食べ、また話に花を咲かせた。

 

今回のメインの目的はこの友達に会うことだったので、それが達せられて一安心である。

この子とのことはまた別記事にでも書こうかな。

 

そのあとは施設が充実しているチムジルバン(韓国のサウナ)に行くために友達にアクセスのいい駅まで送ってもらいバイバイ。

 

チムジルバンは諸事情あって滞在時間をあまりとれなかったのだがまあ楽しむことができた。

 

そのあとは友達が見つけてくれたアートの複合施設?へ

 

ここはあまり見るものがなく(入館した時間が遅かったのも悪い)、、、

これならチムジルバンと同じ施設内にある百貨店でショッピングと食事をしたほうがよかったね……と微妙な感想しか持てなかったが、

こういう小さな失敗も旅の醍醐味であり人を成長させる糧になるだろう(←)。

 

 

そして韓国最後の夜を過ごし、翌朝また仁川空港から飛行機に乗るべく、朝イチのKTXでソウルへ。

 

ほぼ日本人しかいないソウル駅のロッテマートでお土産を購入し、いざ空港へ。

 

空港に早めについたので最後の韓国での食事をゆっくりと楽しみ。

 

韓国を出国。

 

日本到着。

 

 

 

こうして久々の韓国旅行は幕を閉じたのでした。

 

 


上に記した旅日記は概要ばかりでつまらなかったであろうが、この記事で言いたいことは何かというと

・予約は大事

・妥協は大事

・気持ちのコントロールは大事

・失敗もまた一興

ということである。

 

予約できるものはしたほうがいい。

今どきインターネットで予約でき、サイト閲覧時の言語が選択できたり、日本の旅行サイトを通しての予約ができたりするので、予約できるものは予約するに限る。

そうするとおのずと旅行計画も立てやすくなるだろう。割引も受けられたりするので一石三鳥である(?)。

 

 

そして、思い通りに事が進まなかったときの気持ちの持ちようが大事であるということである。

せっかく大金を払って&時間を捻出して来ている旅行なのだから、一分一秒でも嫌な気持ちになりたくない。

だから、計画通りに行かなくても代替案をすぐ考えたり、仮に時間を無駄にすることになってもこれもまたいい経験だと割り切ってゆったり構えて旅を楽しむべきだなと感じた。

 

こうすればよかったなという点に関しては、次回以降の旅行に生かしていけばいいのである。

 

そして、「旅行をプランニングして旅している時点で偉いし、旅行できていることがありがたいことなんだ!!!」という基本マインドを持つことである。

 

よく考えてみれば、“旅をしている”というだけで”すばらしい(ボキャ貧…orz)”のである。

 

 

すべての日程が細かく決められているツアーも気持ちが楽で心配なしに旅を楽しめていいと思うが、自分でプランニングすることで得られる達成感や充実感には代えがたいものがある。

 

 

ということで、今回は久々すぎて旅行の仕方を迷走してしまった自分の経験録ということにしたい。

 

 

国内旅行の予定は近いうちにあるので今回の経験を生かしていい旅にしたい。

 

 

また海外旅行も近いうちにリベンジしたいと思う。