ussamのつぶやきダイアリー

日々のつぶやき、美容、ダイエット、本の感想などゆるく書いていきます。

遠恋、美し

 

新幹線に乗った時のことである。

 

その時は年始の帰宅ラッシュでこだまの上り自由席は座れないのはもちろん、客室内の通路もデッキにも人があふれ出していた。

 

私もデッキに立って乗車していた。

同窓会に向かうため、ちょっとおしゃれなワンピース(コートを着ているから見えない)を着て、慣れないパンプスをはいていたので、絶対座りたい!と思っていたが、年始の帰省ラッシュはそう甘くはなく。

こだまなら3人席の真ん中一つくらい空いてるでしょと高をくくっていた私は玉砕した。

 

乗っている時間はそれほど長くないものの、今から出かける私は少しでも体力と足のよい状態を温存しておきたかった。

だから、立ったまま目的地まで行くのかと思うと少々の憤り(誰も悪くない)と疲労感が襲ってきて、少々心がささくれ立っていた。

 


私の目的地までの間に新富士という東海道新幹線の中で2番目に利用客が少ないと言われている駅がある。

繁忙期といえど、やはりその駅で降りる人は少なく、乗ってくる人も少なかった。

 

当然空きの席が発生することもなく、私はデッキで立ったままであった。

 

 

すると、私がいるところのドアから、若い女の子が乗ってきた。

 

若い女の子とは言っても大学生くらいだ。

(自分の老化をつくづく感じてしまう表現をしてしまった)

 

その子は中くらいのスーツケースを持って乗り込んできたので、帰省していた場所から大学の方面(一人暮らしの家)に帰るところかなと勝手な妄想を開始した。

 

お見送りに彼氏と思われる若い男の子がホームまで来ていた。

 

 

女の子が新幹線に乗り込む。

 

女の子は席がなく立つしかないということがわかると、ドアの前の外がしっかりと見える場所に陣取った。

つまり、彼氏がよく見える位置に。

 

停車時間はこだまにしてはそれほど長くはなかったが、5分くらいは止まっていた気がする。(ただの私の体感時間である)

 

その間、二人はお互いのことを見つめ合って、なにやら微笑んでいる。

角度的に女の子の顔しか見えなかったのだが、彼氏が変顔をしているのかもしれない。

手を小さく振ったりしている。

 

彼氏の顔はよく見えなかったのだが、視界の端で人影が動いているくらいには捉えていた。

途中何やらコミカルな動きをしている。

変な踊りをしているのか、お笑い芸人やTikTokの真似事が、はたまた二人の間でしか通じないような謎のダンスなのか。

その彼氏の動きを見て、本当は大爆笑したいであろう女の子が必死に笑いをこらえている。

でもこらえきれない笑いが少々漏れていた。

 

なんと微笑ましい光景なのだろうか。

 

 

そんな時間があった後、おじさんが一人乗り込んできた。

女の子が少し押し込まれる形になって、おじさんが二人の間に壁となって立ちはだかった。

これはまずい!と思ったであろう女の子がとっさに位置取りを変更してぎりぎりお互いが見える状況をキープした。

 

そして、二人が視線を交わし合っているところに、出発の合図が鳴る。

 

ドアが閉まりそうになると手を振りあう。

 

 

すると、

 

ドアが閉まる直前に男の子が結構大きい声で

 

「ばいばい、まいちゃん!」

 

と叫んだのである。

 

 

 

え、何?これドラマ?

 

 

しかも男の声がいやにさわやかに響いたのである。

(自分の中で補正がかかっているかもしれないことは申し添えておく)

 

 

女の子は恥ずかしそうにしながらも、うれしそうであった。

 

 

 

この最後の「ばいばい、まいちゃん」のくだりを目撃した瞬間、胸にグッとくるものがあった。

 

なぜか、泣きそうになった。(←)

 

 

なんで何の関係もないただのおばさんのあなたが泣きそうになるんですか。

本人たちが泣いているわけでもないのに。

そんな声が聞こえてくるようだ。

 

私もそう思う。

 

しかし、なぜか込み上げるものがあったのだ。

 

 

あとから考えてみた。

あの時の私のあの感情はなんだったのか。

 

 

それはまさに、“羨望”であろう。

 

うらやましかったのだ。

 

あんなにピュアな「好き!」という気持ちを人に抱いたこともないし、抱かれたこともない。

 

青春の一ページとしていつまでも記憶されるだろう、あんなきらきらした瞬間。

 

いいな、いいないいな。

 

 

私も新婚とはいえ、打算的なビジネスのノリでしてしまった結婚(←ひどい言いよう)ではそんな甘酸っぱい瞬間なんて一つもなかった。望んでもいなかったが。

 

それまでの恋愛経験もない。

 

その代わり、妄想だけはたくさんしてきた。

 

その中で憧れの恋のシチュエーションとして描かれていた光景が目の前で繰り広げられているのだから、羨望の涙の一つくらい出ても仕方あるまい。

 

 

もう一つ、涙(出てはいないが)の理由があるしたら、

“謎の共感(同情)”であろう。


この二人は遠距離恋愛していて、頻繁に会えない。

まとまった日数を共にできるのは地元に帰る期間が長い年末年始くらい。

次会える時までさみしいだろうな…という、おばさんの妄想力と共感力によるものである。

しょうもない。

 

それでも、こんな感情を抱かせてくれた二人に感謝したい。(←誰?)

 

 

 

ということで、思わず立ち会ってしまったそんな出来事について、誰かに語りたくなったので書いてみました。

 

 

※この女の子と男の子二人の間にある物語はすべて私の妄想です。

もしかしたら、兄弟かもしれないし。(まいちゃんとは呼ばない気がするが)

 

 

久々、現実世界で胸キュンした。

 

自分が当事者じゃないことが悔しい。

 

では。

生まれ変わるならイワシ

 

もっと幸せな生き方があるんじゃないか

独り身のままだったらどんな人生だったかな

このまま今の仕事をだらだら続けることがはたしていいのだろうか

子供を産むなら早い方がいいけど、あれだけは今やっておきたい

老後の蓄えは大丈夫だろうか

なんとかして(合法的に)お金を増やしたい

 

 

そんなすぐには答えが出ないような、正解がないようなことを
だらだらうじうじと考える癖がある。

 

 

そうしていると、今の生活への不満や不安がつのっていき、ネガティブな感情が渦巻いてくる。

 

基本的に切り替えは早い方だが、結婚してからと言うもの考えることが多すぎて、このぐるぐるの渦からすぐに抜け出せず、病んだ風になることがある。

 

そんなとき、もういっそ人間やめたいな~と思ったりする。

これは死にたいということではないのでご安心を。

 

とりあえず、何も考えたくない。

考えることを放棄したいということである。

 

いや、別に考えても状況が変わらないなら考えすぎるのをやめればいいじゃんと思うかもしれない。

そんなことができたら、とっくにそうしている。

 

 

少し前にブラッシュアップライフというドラマが話題になった。

その名の通り、死んでしまった主人公が人間に生まれ変わるためにもう一度人生を生き直すことができるストーリーである。

自分の人間への転生のためだけではなく、友人の命を救うために3回目以降の人生をやり直していくことになるのだが。詳しいストーリーは省略する。

 

何はともあれ、この主人公は人間に生まれ変わることに執着している。

 

考えることが多すぎて嫌になっているとき私はふと思ったのだ。

 

 

なんで人間に生まれ変わりたがるんだろう。

と。

 

人間に生まれ変わることが勝ち組だとは今の世の中で到底思えない。

 

弱肉強食のこの世で、自然界で一番強い生物が何かと言われれば、無駄な知恵をつけて進化してきてしまった人間かもしれない。

死への恐怖から食物連鎖ピラミッドの頂上にいる人間に生まれたいという気持ちが湧くのは当然かもしれない。

 

 

しかし、知能が高く、感情を持っているということは極めて厄介なことである。

 

考えなくていいことを考えて悩み、

感じなくていいことを感じて悲しんだり怒ったりする。

 

あらゆる感覚が普通以上に発達していて、痛みを感じる。病気になって苦しんで、なお苦しい治療に耐えて命を引き延ばそうともする。

 

今どきの言い方で言えば、たいそうコスパが悪い生き物である。

 

 

だったら、私はイワシでいい。

人間ごときの分際でイワシになりたいなんて失礼極まりない!とイワシは怒るかもしれない。

イワシにも生きる苦労があるだろう。

 

しかし、人間目線からいろいろ思わせてもらえるならば、イワシはひたすら泳ぐ。

すべては本能のままに泳いで繁殖活動をして、寿命が来たら死ぬ。(イワシの寿命はどのくらいなのだろうか)

寿命を全うできず、人間に捕まえられて食べられたり、サメや鳥に捕食されることもあろう。

危険が迫れば、逃げる。逃げ切れなければ食べられて終了。

 

決して命を軽んじているわけではないということは言わせてほしいが、こういうイワシの生き方がうらやましくなる。

 

本能のままに泳ぎ、逃げる。

けがをしたり食べられたりすることもあろうが、そこに恐怖や痛みを感じてはいまい。(感じてたらごめん。)

 

 

もうこれがいいな~何も考えたくない~

ネガティブな感情を持ちたくない~

イワシになりたい。

 

 

それこそ、「私は貝になりたい」という映画があったが、この題名に表れた思いに近いものがあるのではないだろうか。

 

人間は複雑すぎる。生きづらすぎる。

 

とは言っても、人間に生まれてしまって(こんな生産性のない文章まで書いて)しまったのだから、死んだときにまあまあいい人生だったかな~と思えるような生き方を模索していかなければならないのだろう。

ぼちぼちやっていくことにする。

 

 

ここまで書いてきてなんだが、そもそも輪廻転生を信じるあたり、なんて人間臭いのだろうか。

俗っぽいことこの上ない。

 

 

 

そうして、イワシでいいと言っておきながら、

「でも次の人生では大学で結婚相手を見つけたい」

とか

「結婚しない人生を歩みたい」

とか

「中学高校は共学に通う」

とか

「大学では休学して絶対ワーホリ行こう」

とか

 

完全に人間になる予定の次の人生のシミュレーション(妄想)をしているのが、もう完全に人間すぎて、人間イヤ。

 

 

もういっそ、“一周まわってこんなことを書いている私はかわいい”と思おう。

バターサンドを食われて悲しい話

 

先日長野県に温泉旅行に行ってきた。

 

こう言うと「いいね~新婚さんは。」と言われるのだが、一緒に行ったのは大学時代の友達である。

(全員既婚者だが、まだ子供はいないため、1年に1,2回このような旅行が計画される)

 

 

途中お土産を買いに道の駅のようなところに寄った。

 

群馬の特産や近くの長野県のお土産もあり、ゆべしやリンゴジャムなど私好みのものがたくさんあり、取捨選択するのに一苦労であった。

5000円分ほど、一緒に行った友達の誰よりも大量のお土産を買い、満足して旅行続行。

 

お土産と言えば、今まで親と自分くらいにしか買う先がなかったが、結婚したので夫へのお土産も買うことに。

誰かにあげることを想像しながらお土産を選べるのはなんだか楽しいなと思いながら選んでいく。

 

夫は基本的に甘いものが苦手で、普段から口に出してそのことを主張してくる。

だから、今回も柿の種とじゃがりこのご当地フレーバーを買うことにした。

 

それと二人で食べる用に、うどん。

 

自分には、キャラメルレーズンバターサンドを買う。

何がその土地にゆかりのある食材なのか忘れてしまったが、食べなくてもおいしいことが一目瞭然だったので、即決でかごの中に入れた。

 

それとちょうど家のジャムが少なくなってきたなと思ったので(家に帰って確認したらまだ未開封のジャムが数個あったのは秘密)、リンゴジャムをダメ押しで買った。

 

 

結果、お土産購入スポットは今回の旅ではそのタイミングしかなかったので、満足した。

 

 

 

そして、家に帰ってお土産披露の時間。

 

しょっぱいものが好きなあなたにはじゃがりこと柿の種を買ってきました。

うどんはなんだか有名らしかったので二人で食べる用に買ってきました。

このバターサンドはきっと好きじゃないと思うので、私と実家用です。

ジャムは私用です。

 

という丁寧な説明つきで渡した。

 

「ありがとう!」というお礼はもちろんだが、「甘いものは好きじゃないと思うので」という私の説明にも異論を唱えることはなく、「うん、好きじゃない」と言っていた。

 

そして、その日の夕食後のおやつでバターサンドを食べようとした私に「一口ちょうだーい」と言ってきたので、「甘いもの嫌いな人に一口でもあげるなんてもったいない!」と心の中で思いつつも、一口あげた。

 

夫の感想は、「おいしーい、でも1個はいらないな」というものであった。

「おいしいのは確かであるし、甘いものがもともと嫌いなのだからこれ一つはまあ厳しいだろう」とその感想には気をとめなかった。

 

そして、その後数日はうっかりしてお弁当と一緒に持っていくのを忘れたり、夜に思い出して「今はかのカロリー爆弾を摂取できない……」と2個目を食べるのを先延ばしにしていた。

 

ちなみに3個入りである。

 

 

仕事が平日休みで家で早めの夕食を食べた日、ふと思い出した。

「やっぱご飯は甘いもので締めたい。あ!!!バターサンド!!!!今この時間ならギリこのカロリーでも大丈夫!(気持ち的に)」

 

テーブルの隅のお菓子ゾーンに置いたバターサンドを探す。

 

この辺に置いたよな~

まだ1個しか食べてないから2個あるはずだよな~

オレンジのパッケージ♪オレンジオレンジ~~~

 

 

いくら探せど見つからない。

 

あれ?冷蔵庫に入れたっけかな?

冷蔵庫を漁る。

 

ない…え??どこだっけ……

 

あそこかな~?と心当たりのある場所をいくらさがしてもない。
ないーーーー!!!!

 

 


みなさんこの流れでお気づきだろう。

私もこの辺で、「…これは……つまり?そういうことか??」

と思い始めた。

 

 

そうです。夫に食べられました。

 

 

 

その事実に気づいた後は怒りが急に込み上げてきた。

 

はああああーーーーー??何してくれてんだ!!!!

私の楽しみを奪いやがって!!!

しかもその辺で買えないご当地土産だぞ!!

どうしてくれんだ!!!!!

むかつくーーーーーーまじむかつくーーーーーーー

 

脳内は荒れ放題だ。

 

 

夫の帰宅前だったので声にも出ていたと思う。

 

てゆーか、

そもそも甘いもん嫌いなんじゃねえのかよ。

一口食べて、これは1個はいらないなって言ったやつ誰だよ。

ふざけんな!まじで!!

と。

 

10分くらい怒りが収まらず(短い)、暴れて悪態付きまくった。

 

怒りはほどなくして収まったのだが、このことを本人に追及しないではいられない。

しかし、このことをガチで詰めるのも自分の器の小ささを露呈しているだけなので悔しい。

 

 

夫の帰宅を待ち、

最終的に、ちょっとお茶らけモードで言ってみることにした。

 

「あのさ、私のキャラメルバターサンド、まさかと思うけど、、、食べた?」

 

「、、、うん。」

 

「なんで!!」(少々興奮、怒りがぶり返してきた)

 

「え、、(やべっという戸惑いの目)、、、ごめん」

 

「ごめんじゃないのよ」(じゃねーよと言わなかった私えらい)

と冷静に(←)自分の悲しみを伝えた。

 

「本当に本当に悲しかったんだよ」

「満を持して自分が大事に温めていたものが知らない間になくなってて悲しかったんだよ」

「あなたよりも私の方がおいしく食べられる自信あるし、甘いもの嫌いとか言っている人にバターサンドも食べられたくなかったと思うよ」

 

 

こんな感じである。

 

その1時間後と、翌朝にも。

「あ~~バターサンド食べられて本当に悲しい」

「ねえ、悲しい」

とうざいくらいに畳みかけておいた。

 

その一方的でしつこい追及で私の怒りは収まり、もういいやと思えていた。

 

 

 

そして、怒った翌日の夜。

 

仕事から帰った私におずおずと箱を差し出す夫。

「これ、、、買ってきたよ!」(ドヤ顔)

 

東京駅で買ってきたおいしそうなレーズンバターサンドだった。

「え!罪滅ぼしみやげ?買ってきてくれたの!ありがとう!」

とちょっと嫌味を混ぜてしまいつつも喜び、

こんな風にご機嫌取りができるようになったんだな~とちょっとしみじみした。

 

お前何様だよと思われるだろう。

自分でも思う。

 

もうちょっと性格悪いことを言うならば、無駄な出費だなと少し思った。

 


「これ日本で一番人気あるバターサンドだよ!」

とうれしそうに言うので、

「一番人気は六花亭のマルセイバターサンドでしょ!」

と、つい応戦してしまった。

 

素直に喜びだけすればいいのにそれができないのが私なんだよなとがっかりもした。

 

翌日、買ってきてくれたバターサンド食べてみたら、クッキーの部分がサクサクで、バタークリームはミルク感があって程よい甘さで、バランスがよく、とてもとてもおいしかったのでした。

うん、人気ナンバー1と言われるのもうなずける。

 

 

怒りの感情には素直になれるのに、喜びの感情には素直になれないということを再認識した。

そして「自分のもの」は自分で独占したいというケチな意識があるようだ。

 

まったく、器が小さい人間であるよ。

家計簿アプリはじめました

 

新婚さんの同僚(私よりも少し前に結婚した)が、家計簿をつけ始めたという。

結婚生活を始め、早くも家を建てることになり、お金についてしっかり考えていかねばと思い立ったとのことだ。

 

家計簿をつけ始めてから、お金がちゃんと貯まるようになったという。

「週や月でしめて、繰越7000円とかって書くのが気持ちいんですよ!」とうれしそうに話す同僚。

それまでとお金の使い方を変えたという自覚もないのに、月々貯金できる額が増えたのだそうだ。

 

 

それを聞いて即刻、私も家計簿アプリをダウンロードした。

私も同僚と同じく家を建てることとなり、さらに新婚旅行(海外8日間)にも行けることになったので、お金の心配を本格的にし始めたところだった。

 

家計簿は大学時代につけたことがあったが、切実さがなくあまり続かなかったが、今回はとりあえず3か月くらいはやってみよう、という気持ちで始めた。


私は一応、何かを細く長く続けることは得意なので、家計簿向きであるという自負はあった。(続かなかったと書いたばかりで何を言っているんだ)

 

当然、夫にも家計簿アプリで管理することを強要した。(←)

 

 


家計簿をつけ始めて2週間ほど経ったころからだろうか。

 

お金をまったく使わない日を作るということに喜びを覚えだした。

アプリのカレンダー表示で、何も記録しない日には数字が表示されない。

(「0」とも表示されない)

 

その日を空欄で終えられることが快感になってきた。

これはすばらしい効果である。

 

 

そんなお金に縛られた生き方は不幸なのではないか、と思われる方もいるだろう。

私もその考えだったので、家計簿に手を出さないでいたのだが、案外そうでもない。

 

家計簿をつけていなかったら買っていたであろうものがあったら少ーーーし生活が豊かになるかもしれない。

ただ、家計簿を気にして買わないという判断を下すものは、所詮それまでの欲求だったということだ。

 

単なる生命維持活動には必要のないものでも、自分が絶対欲しいと思えば買っている。

ヨガマット、ネイル硬化ライト、プロテイン、サプリ、パン屋のパン など。

これらを買わなくても生活は不自由なくできる。

しかし、そこは楽しみたい、健康維持(自己満)のためにあったほうがいいと思えば、そのつど購入している。

 

着ないかもしれないな~と思いながら買う服や新調しなくてもいいけどなんとなく買う靴などをやめた。だけだ。

 

旅行には行ったし、そこでの飲食代、ホテル代、お土産代などはまったくケチっていな

い。

 


何事もメリハリを持ちながら、管理していくということが大切なのである。

 

必要なもの、絶対に譲れないところにお金をかけるために、

どっちでもいいかな、なくてもいいかなというものをカットしていくのである。

 

 

家計簿をつける前から金の亡者と親にディスられるくらい、お金を貯める(というか増やす)ことに執着していた私だが、家計簿アプリでお金の出入りを可視化できるようにしたことで逆に心の余裕が生まれたように思う。

 

つけ始めた今月は新婚旅行①(国内3泊)があったので、収支としてはおそらく赤字になるのだが、それでも何もイベントがなければかなり貯まっちゃうんじゃない?♪とわくわくしてくる。


とはいえ、来月もプチ旅行(1泊)に行く予定があるのだが。

 

 

 

次なる課題は夫と1か月つけてみての報告をして、これからの方針を決めることである。

 

夫は自分のことを「貧乏性だから」と言うが、まったく逆だと私は思っている。

浪費癖がある本当の貧乏である。(失礼極まりない)

 

現在はそれなりに稼いでいるので「貧乏」ではない(はずだ)が、謎に貯金額が少ないのである。

様々な言い訳を聞いて同情の余地がないこともないが、一番の原因は独身時代に飲み代がかさんだためであろう。

飲み代に膨大な金が消えた、それが一番の原因だということは明白なのに、話をすり替えてその事実を認めようとしないところがある。

 

ということで、家計についての話し合いというのは鬼門であるが避けては通れない、とても重要なイベントである。

 

もういっそ、私が全部管理すればいいのでは?と思わないこともないが、

別財布で自己責任制度を敷いておきたいという気持ちがある。

(ということも、一応申し添えておく)

 

 

 

何はともあれ、家計簿をつけて現状を把握することは、

合理的な節約の第一歩にして、最重要項目であることが分かった。

 

継続して記録していきたい。

 

ウンコクロイ

 

びっくりするぐらいどうでもいい話だ。

申し訳なく思うほどにくだらない話だ。

 


前振りしましたからね。

 

 

 

 

ある朝、うんこをした。

便器の中に沈んで全容を見ることができなかったが、なんとなくいつもより暗い色をしていた。

お尻を拭いてちょっとついてきたウンぴーが“ごはんですよ”みたいな色をしていた。

 

うーーん、何かの間違いかな。

 

 

10時ごろにもう1回うんこをした。

このときも便器の底に沈んではいたが、朝のことがあったので、よくよく観察してみた。

うん、やっぱりうんこ黒い。

 

 

そして私は考えた。

 

昨日そんな黒いもの食べたっけかな?と。

 

 

あ、ほうれん草かな?

前日にほうれん草の胡麻和えとほうれん草がたくさん入った野菜スープを食したことが思い当たった。

しかし、これまでもそのくらいのほうれん草摂取量を経験したことはあるが、うんこの色にここまで影響しなかった。

 

ほうれん草でないとすれば……

 

 

あ!スタバのフラペチーノだ!!!

ハロウィンシーズンの期間限定フラペチーノで、“真っ黒で得体の知れない感じ”を売りにした商品であった。

フラペチーノの本体?(氷をミキサーした部分)ももちろん黒で、ホイップクリームの上にかけるソースも黒だった。

味はカボチャプリントキャラメルだったのだが、色は竹炭で着色されているらしい。

 

犯人は、、、お前か!!!!

 

あの黒い飲み物の影響力たるや……

 

 

 

生まれてから今までで一番黒いうんこをした話でした。

 

 

 

失礼いたしました。