もっと幸せな生き方があるんじゃないか
独り身のままだったらどんな人生だったかな
このまま今の仕事をだらだら続けることがはたしていいのだろうか
子供を産むなら早い方がいいけど、あれだけは今やっておきたい
老後の蓄えは大丈夫だろうか
なんとかして(合法的に)お金を増やしたい
そんなすぐには答えが出ないような、正解がないようなことを
だらだらうじうじと考える癖がある。
そうしていると、今の生活への不満や不安がつのっていき、ネガティブな感情が渦巻いてくる。
基本的に切り替えは早い方だが、結婚してからと言うもの考えることが多すぎて、このぐるぐるの渦からすぐに抜け出せず、病んだ風になることがある。
そんなとき、もういっそ人間やめたいな~と思ったりする。
これは死にたいということではないのでご安心を。
とりあえず、何も考えたくない。
考えることを放棄したいということである。
いや、別に考えても状況が変わらないなら考えすぎるのをやめればいいじゃんと思うかもしれない。
そんなことができたら、とっくにそうしている。
少し前にブラッシュアップライフというドラマが話題になった。
その名の通り、死んでしまった主人公が人間に生まれ変わるためにもう一度人生を生き直すことができるストーリーである。
自分の人間への転生のためだけではなく、友人の命を救うために3回目以降の人生をやり直していくことになるのだが。詳しいストーリーは省略する。
何はともあれ、この主人公は人間に生まれ変わることに執着している。
考えることが多すぎて嫌になっているとき私はふと思ったのだ。
なんで人間に生まれ変わりたがるんだろう。
と。
人間に生まれ変わることが勝ち組だとは今の世の中で到底思えない。
弱肉強食のこの世で、自然界で一番強い生物が何かと言われれば、無駄な知恵をつけて進化してきてしまった人間かもしれない。
死への恐怖から食物連鎖ピラミッドの頂上にいる人間に生まれたいという気持ちが湧くのは当然かもしれない。
しかし、知能が高く、感情を持っているということは極めて厄介なことである。
考えなくていいことを考えて悩み、
感じなくていいことを感じて悲しんだり怒ったりする。
あらゆる感覚が普通以上に発達していて、痛みを感じる。病気になって苦しんで、なお苦しい治療に耐えて命を引き延ばそうともする。
今どきの言い方で言えば、たいそうコスパが悪い生き物である。
だったら、私はイワシでいい。
人間ごときの分際でイワシになりたいなんて失礼極まりない!とイワシは怒るかもしれない。
イワシにも生きる苦労があるだろう。
しかし、人間目線からいろいろ思わせてもらえるならば、イワシはひたすら泳ぐ。
すべては本能のままに泳いで繁殖活動をして、寿命が来たら死ぬ。(イワシの寿命はどのくらいなのだろうか)
寿命を全うできず、人間に捕まえられて食べられたり、サメや鳥に捕食されることもあろう。
危険が迫れば、逃げる。逃げ切れなければ食べられて終了。
決して命を軽んじているわけではないということは言わせてほしいが、こういうイワシの生き方がうらやましくなる。
本能のままに泳ぎ、逃げる。
けがをしたり食べられたりすることもあろうが、そこに恐怖や痛みを感じてはいまい。(感じてたらごめん。)
もうこれがいいな~何も考えたくない~
ネガティブな感情を持ちたくない~
イワシになりたい。
それこそ、「私は貝になりたい」という映画があったが、この題名に表れた思いに近いものがあるのではないだろうか。
人間は複雑すぎる。生きづらすぎる。
とは言っても、人間に生まれてしまって(こんな生産性のない文章まで書いて)しまったのだから、死んだときにまあまあいい人生だったかな~と思えるような生き方を模索していかなければならないのだろう。
ぼちぼちやっていくことにする。
ここまで書いてきてなんだが、そもそも輪廻転生を信じるあたり、なんて人間臭いのだろうか。
俗っぽいことこの上ない。
そうして、イワシでいいと言っておきながら、
「でも次の人生では大学で結婚相手を見つけたい」
とか
「結婚しない人生を歩みたい」
とか
「中学高校は共学に通う」
とか
「大学では休学して絶対ワーホリ行こう」
とか
完全に人間になる予定の次の人生のシミュレーション(妄想)をしているのが、もう完全に人間すぎて、人間イヤ。
もういっそ、“一周まわってこんなことを書いている私はかわいい”と思おう。