昨日の月はとってもきれいだった。
きれいというか、幻想的というか。
夜10時前のそこそこ遅い時間であったが、月がまだ低いところにあり、オレンジ色をしていた。
そして、なんだかいつもより大きく、近く見えた。
そこに薄く雲がかかっており、おぼろげで、妖艶だった。
調べ忘れたが、きっと“なんとかムーン”だったに違いない。
退勤途中の車の中から、建物の間を縫ってときどき見える月に、
「うわ~~あああ、きれ~~~」
と何度も何度も心の中でため息とともにつぶやいた。
そのとき、ふと、
「ねえ!!!月がきれいだよ!!!見た?」
と、LINEしたくなった。
でもそんな相手はいない。
送るとしたら親くらいだが、月がきれいなことを親と共有することほど悲しいことはない。
頻繁に連絡をとっている友達も特にいないし、友達にこういう話をするのも違う気がする。(自分のキャラも踏まえると)
夏目漱石が「I love you」は「月がきれいですね」と訳すのがよいと言ったというのは、あまりにも有名な話だが(実話じゃない説が濃厚らしい)、よく言ったものだとこのとき妙に感心してしまった。
夏目漱石に感心なんて言葉を使うのはおこがましいことであろうが。
ああ、さみしい。
「月きれいだよ!」ということを共有できる人がいないなんて。
スマホでなんでもかんでも写真を撮る人の心理について前に書いたが、
今回はほんとにほんとにその気持ちを理解した。
ここで思い出した。
“「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ”
ああ、「月がきれいだね」って話しかけたい。
「月がきれいだね」って答えてほしい。