言いたいことは一度引っ込める。
ここ数年、「考えるより前に口から出てしまう」ということが増えた。
まず、大前提として、私は性格が悪い。
だから、人の言動などを見ていて「気に入らないな」と感じることはもともと多いのだが、これまでは「思うだけ」にとどめることができていた。
しかし、最近では、「言っちゃおうかな、どうしようかな」と考える前に口が勝手に動いている。
考えるにこれは「おばさん力」(=図々しさ)が育ってきてしまったからかもしれない。
そして、言ってしまった後に「今のは言わなくてよかったな」「言わないほうがよかったな」と思うことが多々ある。
例えば、同僚のおじさんがおやじギャグを言う。
他の人があえて無言でスルーし、少したった後でフォローとして「おもしろくないよ」とツッコミを入れる。
私は「でも(すべるのに)おやじギャグを言い続けるメンタルはすごいと思います。」と言う。
《ちょっと場が凍る》
ということがあったり。
そのような要らない一言を放ってしまうと、
①相手を不快にする、怒らせる、傷つける
②周りの人を不快にする、ひやひやさせる、傷つける
③自分の評判を下げる
いいことがない。
「地雷を踏む」という表現を考えた人は頭がいいな~と思う。
言い得て妙だ。
まさに、私は日々、その人の地雷を踏みそうになりまくりだ。
地雷を踏んだら、地雷そのもの、地雷を踏んだひと、すぐそばにいた人が死んだり怪我をしたりする。
この場合も同じくだ。
「言葉の暴力」「言葉は時として武器になりえる」ということもよく耳にするが、
それもまた、まさに、だ。
言っておくが、私は「人を傷つけてやろう」という確信犯的な気持ちで、言葉を発することはない。
腹の底ではいろいろ思っていても、それらを全部相手にぶつけるほど悪い人間ではない。
そのあたりの常識はわきまえているつもりである。
ただ、問題なのは、無意識のうちに“つい口から出てしまっている”ということだ。
仕事の異動があり、周りの人が一新された際には、ちゃんと猫かぶって、最低でも1年くらいは完全体の「いい人」を演じようと思うのだが、
異動も回数を重ねると、案外すぐ打ち解けられちゃうんだよな~という慣れが生じ、かぶった猫がとどまってくれず、2週間くらいで逃げてしまうようになった。
まずいまずい。
ここで自覚を新たにして、これからの生活の中で気を付けていかなければ。
一応言っておくと、何を言っても受け止めてくれたり、いい意味で華麗に流してくれたりする、簡単には壊れない関係性を築けている友人もいる。
そのような数少ない親友には我慢せず思ったことを言わせてもらっている。
それもお互い様で。
でも、親しきに中にも礼儀ありというように、強固な関係性までをも崩すような、要らない言葉は決して口から出さないように、気を付けていかなければと思うのだ。
では。