“ゲシュタルト崩壊”という言葉をご存じだろうか。
私がこの言葉を初めて聞いたのは、小学生のころだったか…
はっきりとは覚えていないが、
”ゲシュタルト”という語感の強さにより一回で記憶に焼き付いた。
何回も同じ文字を書いていて、
今書いている字がパーツパーツで分解されたように見えてきて、
「合ってるか合ってないかわからなくなってきた!!」
と言ったところ、担任だったか親だったか、
「そういうのをゲシュタルト崩壊っていうんだよ」
と教えてくれたような気がする。
“ゲシュタルト崩壊”という言葉は新鮮だったし、
英語はまた違った外国語感があり、
「これ覚えて同じような状況で使えたらかっこいんじゃね?」
と、ませてくるころの年齢の私は思ったのだろう。
“スリランカの首都を一生懸命覚えて、得意げに披露する感覚”と言えばわかっていただけるだろうか。
そして、現在30歳になるまでに何度となく、
「うわ~、ゲシュタルト崩壊した!」
とか
「それゲシュタルト崩壊っていうんだよ~(ドヤ)」
とか
「ゲシュタルト崩壊」という言葉を必要以上に濫用?してきた。
その言葉を覚えた最初の頃は、いつ「ゲシュタルト崩壊」という言葉を言ってやろうかということで精一杯だったし(←)、
この言葉を言うだけで満足感と達成感を得ていた。
だから、もちろん、「“ゲシュタルト”ってそもそもどういう意味?」
なんて疑問に思ったことがなかった。
しかし、大学生くらいになってみると、何年も何も思わず使ってきた「ゲシュタルト崩壊」の“ゲシュタルト”について、そういえば意味を知らないで使ってきたけど…
「ゲシュタルト」って響き的にドイツ語?人名?
というような疑問が湧いてくるのである。
大学生になってようやく「ゲシュタルト」を電子辞書だったか、インターネットだったかで調べてみるに至った。
調べてみると、
ゲシュタルト【Gestaly(ドイツ)】
〔心〕部分の寄せ集めではなく、それらの総和以上の体制化された構造のこと。形態。
(『広辞苑』より引用)
だそうだ。
初めて調べた時には、
「へえ~、ゲシュタルトって人の名前じゃないんだ~」
「へえ~、だから文字がバラバラに見えることをゲシュタルト崩壊っていうんだ~」
などというような感想を抱いたと思う。
しかし、私は最近もまた「ゲシュタルト(崩壊)」って人の名前じゃないんだ~と新鮮な気持ちで思ったのである。
心理学に関する本を読んでいたら、ゲシュタルト心理学という項目に説明されていた。
その時に思った。
あれ?「ゲシュタルト」って前にも調べたことあるよな?
思い返してみれば、「ゲシュタルト」を辞書やネットで調べたことは少なくとも4回はある。
そのたびに、「えっ、人の名前じゃないんだ~」と思うのである。
最初の「人の名前っぽいな」という印象が強すぎて、何度調べても記憶の上書きが割されなかったようだ。
この「ゲシュタルト崩壊」という言葉について考えて、
どうしても覚えられない英単語ってあるよな~
何回も辞書引いちゃうんだよな~
調べるたびにおんなじ反応しちゃうものってあるよな~
と思ったのであった。
興味がないことについての情報を忘れてしまったりなかなか覚えられなかったりするというのは納得できる。
しかし、
関心があって自ら積極的に調べたことでさえすぐに忘れてしまうというのも不思議だな~とのんきに思ったりするのでした。
単に私の記憶力が低いだけかもしれないということは気づかないでおこう。
次にまた「ゲシュタルト」を調べるのはいつかな。
では。