ussamのつぶやきダイアリー

日々のつぶやき、美容、ダイエット、本の感想などゆるく書いていきます。

「いただく」の濫用?

 

最近というかここ数年。

「いただく」という言葉を今まで以上によく耳にするようになった気がする。

 

 

「させていただく」の過剰使用についてはもっと前から話題に上ることはあったが(私の周りだけ?)、

 

最近気になるのは、「食べる」という動詞の謙譲語としての「いただく」である。

 

 

例えば、SNSで、

「今日は夕食にハンバーグをいただきました。」

などと写真付きでアップしているのが気になる。

 

みなさん、気になりませんか??!!!

 

誰かが自分にプレゼントしてくれたものを

「おいしくいただきました」などと言うのは自然だと思うが、

 

自分が材料を買ってきて作ったハンバーグを食べることに対して「いただく」というのは違和感があるのだが。

私だけ?

 

この場合、材料である牛さんに感謝している?スーパーでものを売ってくれた人(売られるまでにかかわってくれた人)に感謝している?

 

 

まあ日本でのご飯を食べる前の挨拶が「いただきます」なので、十分理解はできるが、、、

 

それに、牛さんにだろうと食材提供に関わってくれた人にだろうと感謝の気持ちを忘れないことは大事である。

大事なんだけど、、、

 

そんな感謝する?

 

 

本当にうがった見方で申し訳ないのだが、

セレブな芸能人かだれかが、“上品な言い方”という意味合いで始めた「いただく」という言葉を、庶民たちが真似し出したという風に思えてしょうがない。

書いていて自分の性格の悪さにも驚くのだが。

 

え、そう思いませんか?

 

「今日は夕食にハンバーグを食べました」

「今日の夕食はハンバーグでした」

これじゃだめ??

 

 

 

もう一つ。

ニュースや情報番組のリポーターが食レポや農園とかの特集の中で、

「ぜひみなさんもいただいてみてください」

というような使い方をすることがある。

 

これが仮にシャインマスカット農園の取材だったとしよう。

ここで放った「いただく」は誰への敬意?

普通に解釈すれば、リポーターがシャインマスカット農園の方か、シャインマスカットそのものへの敬意を表していることになる。

 

まあおかしくはない。

しかし、食べる主体は視聴者なので、視聴者のことを下げているという風にも解釈できる。

 

それでいいの?合ってる?

 

視聴者を低めてシャインマスカット農園の人を持ち上げたくてこの言い方をしているなら、いいと思うが、

 

なんとも、、、違和感。

 

 

 

今は2つの例をあげたが、気になる使用場面はかなりたくさんある。

そこは「食べる」でよくない?

むしろ逆に「召し上がる」じゃない?

と、いちいち思ってしまう私はめんどくさい人間だろうか。

 


でも気になっちゃう。

 

 

これとは関係ないが、新しい辞書に

「ちがくて」とか「ぶっちゃけ」が載るということが情報番組で取り上げられていた。

これらが誤用として載るのか、新しい語の使用例として載るのかは聞き逃してしまったが、誤用でなく新語として載るとしたら衝撃すぎる。

 

言葉は生き物だし、誤用とするか変化したとするかは難しい問題である。

 

これまでも言葉は変化し続けてきた。

 

しかし、今の私の感覚では正式な用法であるととても容認できない言葉が、辞書の仲間入りをしていくかと思うと複雑な気持ちである。

 

 

めんどくさがりのわりにこんなことを日々考えております。