ussamのつぶやきダイアリー

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東京はコワイヨ

私は都民ではない。

他の大都市民でもない。

 

自宅があるところはド田舎まではいかないが、どちらかというと田舎のザ・住宅地である。

 

車社会なので、みんなが移動するような時間帯には道が混みイライラすることもあるが、交通面に関してはストレスフリーで生きていると言える。

 

 

そんな私が東京で電車(地下鉄)に乗ると、完全に挙動不審者になってしまう。

 

 

私は友達が少なく、地元には一人もいない。

大学の友達と遊ぶときには、旅行でなければだいたい東京で会う。

 

「東京の○○駅集合ね」とか、「このレストランに現地集合ね」と言われた場合、電車での移動は避けられない。

 

新宿など複雑な駅は構造を全く把握できていないが、目的の電車に乗り、目的の駅に行きつくくらいは当然できる。

 

しかし、電車内での立ち居振る舞いが完全にお上りさんなのである。

 

コロナ禍では休日の地下鉄はそんな混んでいることがなく、自分の東京への慣れなさにも気づいていなかったが、最近は「どんどんお出掛けしようぜ」という時流になり、休日も出歩く人が多くなったようだ。

 

 

すると当然電車も混む。

自分が座った後にたくさん乗ってくるならいいのだが、すでに混んでいる電車に乗るというのはお上りさんにとってハードルが高い。

 

どういうことかというと、

 

混んでいる電車では席が空くのを狙って奥の方まで進み座っている人の前につり革頼りに立っているか、

ドアの脇に立って壁に身をあずけるか、

という大きな2択になる。

 

しかし、慣れていない私はこの2択で迷い、

「ドアのとこがいいかな」とのろのろしている間に他の人にそのポジションを奪われ、

「しょうがないから奥の方まで行って席が空くのを待つか」と思うも、すでに人が流れ込んだ後だと、あとちょっとのことなのに、座席前の空間までたどり着けない。

 

するとどうなるか。

 

その2つの空間の間に立つことになる。

 

つり革も壁もない不安定な場所だ。

 

東京の電車は比較的運転が荒いというか線路がしっかりまっすぐじゃない感覚というか、思っているよりも揺れる。

 

するとこの空間にいるというのはかなり危険な状況である。

 

しかし、1回その場所にとどまってしまうと乗り降りの大きな動きのある駅でしか、ポジション替えはできない。

 

だから、息を止めて(息を吐くとバランスが崩れる気がするということ)、必死で電車の揺れを読み、鍛えたこともない体幹をフル動員してこけないように耐えるのである。

 

 

 

けっこうたくさんの人が降りる駅につく。

降りる人の邪魔にならないようにと右によけると右側の人の邪魔になり、左によけると……という具合で障害物と化し、いたたまれない気持ちの30秒を耐える。


「よし、座れるかな!」と思って見回すと、私が障害物となってわたわたしていた間に電車玄人たちに当然のように席は取られているのである。

 

そうして立つための空間は大きく空き、どこに身を置けばいいかわからず心もとない状態で目的地まで運ばれていくのである。

 

周りの人は私のことをまったく見ていないのだが、「あいつ絶対田舎から遊びに来たやつだ」と思われているのではないかという被害妄想にそわそわするのである。

 

 


東京は何回行っても馴染めない。