瀬尾まいこさんの『夜明けのすべて』を読みました。
瀬尾まいこさんは『そして、バトンは渡された』で本屋大賞をとって、再注目されている作家さんです。
”再注目”というのも失礼なくらい、常に人気のある作家さんでありますが…
瀬尾まいこさんの作品は、いわゆる「心がほっこりする」系で、気持ちが疲れているときに読みたくなります。
(疲れているときにがっつりミステリーは読めない…)
なんというか、「わかりやすく泣かせに来る」「無理に同情や共感を誘う」感じではないのがいい。
淡々と読んでいって、「はあ、いいな」「うんうん、確かにそうかも」と思えるというか…
山あり谷ありで展開がスピーディという感じでは全くないのに、どんどん読み進めたくなって退屈しない、そんな作風が大好きです。
さて、今回読んだ『夜明けのすべて』の感想を書いていこうと思います。
【あらすじ】
中心となる登場人物はPMS(月経前症候群)の藤沢さんと、パニック障害の山添くん。
藤沢さんのPMSの症状は生理がくる日に、どうしようもなくイライラし相手を選ばす怒りをぶつけてしまうというもので、病気の説明もしづらいため「変な人」という目で見られてしまう。
山添くんのパニック障害は、電車や会議など閉鎖された場所や空間(シチュエーション)で緊張や不安に襲われ、パニック発作を起こしてしまう。
この二人は、それぞれ違う大手企業に就職したいわゆる「勝ち組」であったが、PMSとパニック障害のせいで退職せざるを得なくなる。
その後フリーター生活を経て、そろそろ働かなければという思いで「栗田金属」という二人を含め総勢6人の小さな企業に就職する。
そこで藤沢さんと山添君は出会う。
最初は互いのことを理解できずむしろ、嫌いあっているようでもあったが、
周りからなかなか理解されにくい(見えづらい)病気であるという点で、本人たちも無自覚のうちに互いを気にし始める。
恋とか友情という感情ではなく、「なんだか気になってしまって世話を焼いてしまう」そんな関係だ。
あらすじをこれ以上事細かに書くことはしないが、藤沢さんと山添くんは互いに変な気を使わなくていいwin-winの関係での関わり合いの中で、病気を少しずつではあるが前向きにとらえ、未来に明るい希望を見出していく。
【感想】
・二人を取り巻く環境が優しい。
主に二人の周りににいる人たちが優しい。
「ひどく心配してくれる」とか「ものをくれる」とか「優しい言葉をかけてくれる」とか、そういうわかりやすい優しさではない。
優しさを受けた人がその言動を「優しさ」と気づかないくらいの、負担に思ったり申し訳なくなったりしないくらいの、「さりげない気づかい」に長けている。
もっとも「気づかってあげよう」という気持ちで動いているというより、彼らの自然が結果的に二人を「気づかう」行動になっているだけといったほうがよいかもしれない。
何かに困っている人を助けるということは難しい。
お金や物を援助したり、直接的に手を貸すということはある意味簡単である。その助け方が悪いということではない。ただ、それだと助けてもらう側は委縮してしまう。
一緒に働いたり暮らしたりするときには、その人がいやすい雰囲気作りやちょっとした声掛けなどがもっと大事なのかなと思う。
私自身「助けてもらう」ことには抵抗がある。
プライドもあるし、借りを作るのも嫌だし、申し訳なさを感じるとさらに疲れてしまう。
だから、「助けてあげる」ときにも気をつけなければと思った。
直接的なわかりやすい助けを必要とする人には与えようと思うが、「かまわないで…」というオーラをまといながらも「助けを必要としている」人にも「さりげないおせっかい」を焼きたいと思った。
「栗田金属」の社長はじめ、従業員がやさしい。
不必要なプレッシャーをかけない。
深刻な困りごとを、嫌味な感じをまったく出さず、笑い話にしてしまう。
それで、藤沢さんの心は軽くなる。
山添くんの元上司がとてもやさしい。
「誰かに気にかけてもらえる」というのはとても心強い。
・二人のお互いに対するおせっかいが温かい。
自分が「できないこと」は多いが、あの人の「できないこと」「困っていること」を克服させてあげるため、少しでも楽にしてあげるために、自分が「できること」「気づいたこと」をしてあげよう。
山添くんは、「藤沢さんだったらこう考えてこう動くだろうから、自分が少し先回りして少しやっておいてあげよう。」と思って行動する。
藤沢さんも同じく、「山添くんは、こういうことがしたいだろうけど、自分一人でするのは難しいだろうから、私ができることはやってあげよう。」と思って行動する。
その連鎖が二人の間に恋とか友情とかとは違う、しかし決して弱くない絆のようなものを生んでいく。
物語に描かれていない未来の二人の関係がどうなっていくかはわからないが。
【☆雑感】
この本を読んで「いいな」と思った部分が、私が普段心掛けていることも少し通じるところがあるかもなと思って自信になった。
例えば、相手の深刻な困っている状況を、「深刻に捉えすぎない・捉えさせすぎない」ということだ。
相手の困りごとを軽んじるということでは決してない。
ただ、「単に考えすぎなのかな?意識しすぎるから悪い状況ばかりが目に付いてしまうのかな?悲観的になってしまうのかな?」という感じる場合がある。
そんな人には「考えすぎないほうがいいよ」とは言わずに、考えすぎることをやめることができるような会話をするようにしている。
具体的には説明できないが、「できないことを悩んでいる」場合には「できていることに目を向けさせたり」、「いついつに嫌なことがある」という場合には「その後にこんな楽しいことがあるんだ、うらやましいな~」と言ってみたり。
人間はどうしても、100あるうちの「90のできること」よりも、「10のできないこと」に目を向けて自信をなくしたり悲観したりしがちだ。
自分はなんでこんなこともできないんだろう…
あの人は簡単にこなしているのに自分はいつまでたってもできない…
あとこれさえできれば…
しかし、そんなときこそ「できること」「自分が当たり前にしていること」に目を向けるようにしている。
人が悩んでいるとき、困っているときもそうだし、
自分自身が落ち込んでいるときもこの考え方はとっても有効だと思う。
いろいろな人が同じようなことを言っている。
聞き飽きた考え方かもしれない。
でもこの考え方を実践できるかどうかで生きやすさはまったく違ってくると思う。
この『夜明けのすべて』の二人は客観的にみると、まさに、そんな考えのもと動けるようになってから未来が明るいものになっていっている気がする。
まとまらないけれど、
「おせっかいっていいな」
と思いました。
私は普段、「やってあげたほうがいいかな」と思うことがあっても、「余計なお世話だ、うざい」と思われたら嫌だなと思って、なかなか行動に移せない。
でもこれからは「ちょっとしたおせっかい」をときどき焼いてみたいと思った。